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    <title>Si営業部　前田です。</title>
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    <updated>2008-07-06T09:08:43Z</updated>
    <subtitle>ソリューションのスペシャリスト軍団
Si営業部　前田のブログへようこそ。</subtitle>
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    <title>「私心のない判断を行なう」　</title>
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    <published>2008-07-05T09:07:29Z</published>
    <updated>2008-07-06T09:08:43Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話より 「私心のない判断を行なう」　 　何かを決めようとするときに、...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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            <category term="盛和塾" />
    
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        稲盛塾長の講話より
「私心のない判断を行なう」　

　何かを決めようとするときに、少しでも私心が入れば判断はくもり、その結果は間違った方向へいってしまいます。人はとかく、自分の利益となる方に偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力も得られず、仕事がスムーズに進んでいきません。また、そうした考え方は集団のモラルを低下させ、活動能力を鈍らせることになります。
　私たちは日常の仕事にあたって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんではいないか、と常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。
          **************************************************************

　極端に言いますと、自分を無視して物事を考える。もっと極端に言いますと、自分というものを犠牲にして物事を考える、これが、私が使っている「私心のない判断を行なう」という意味です。自分に都合のいい、自分に利益があるような結論、判断はせずに、客観的に正しいことを正しく判断する。それが物事を成功させていくためにはたいへん大事なことなのです。ところが、人間は肉体を持っていますから、ものを考えるときには必ずといっていいくらい、私心、自分というものが入ってきます。
　たとえば物事を考える場合、何かことが起こることによって直感的に物事を考えて判断をします。その場合には、本能という領域で判断したものが出てくるわけです。本能の領域は、私心、自分のことだけを考えています。ですから、どうしても自分に都合のいい話にならざるを得ないのです。
　物事を判断するときには、自分自身を無視して考えるようにしなければなりません。事業経営者ですから本当は自分のことを一番に考えなければならないのですが、考えるときには自分のこと・会社のことは一度棚に上げてから考えてみる、それは非常に大事なことです。思わぬ解が見付かります。
　今まで解けなかった問題、相手と絡まり合ってほどけなかった問題が、自分というものを除いて考えたときに、スパッと解けるときがあります。決してそれは自分が損をするのではなくて、相手も喜び、自分も喜ぶという解が見付かるケースはたくさんあります。
　では、具体的にはどうすればいいのか。物事というのは何か起ったときにその瞬間・瞬間に考えるのが普通です。そういうふうにパッと考えるときに、「ちょっと待てよ」と一度深呼吸をしてみるのです。大きな問題になりそうだと思ったときは、「ちょっと待てよ。塾長が“自分を無視して、一度考えてみい”と言っていたな」と一度間を置いてから、自分に都合がいいようにというものを除けて、他人事と思って考えるようにするわけです。自分、相手、もうひとり、三つ巴で問題が起っているとすれば、自分ではなくて、第三者として考えてみる。その時にどうなるか。それが自分というものを無視して考えるという意味です。
        
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    <title>「本音でぶつかれ」　</title>
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    <published>2008-07-04T09:05:19Z</published>
    <updated>2008-07-06T09:06:45Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話 「本音でぶつかれ」　 　　責任をもって仕事をやり遂げていくために...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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            <category term="盛和塾" />
    
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        稲盛塾長の講話
「本音でぶつかれ」　

　　責任をもって仕事をやり遂げていくためには、仕事に関係している人々が、お互いに気付いた欠点や問題点を遠慮なく指摘しあうことが必要です。ものごとを「なあなあ」で済まさずに、絶えず「何が正しいか」に基づいて本音で真剣に議論していかなければなりません。欠点や問題に気付いていながら、嫌われるのをおそれるあまり、それらを指摘せずに和を保とうとするのは大きな間違いです。
　ときには口角泡を飛ばしてでも、勇気をもってお互いの考えをぶつけあっていくことが大切です。こうした中から、本当の意味でお互いの信頼関係も生まれ、より良い仕事ができるようになるのです。
          **************************************************************

　仕事をしていますと、いろんな問題が出てきます。その問題を解決していこうと思えば、本当は本音で議論しなければならないのに、そういうことを上司に言ったのでは角が立つし、人間関係が崩れるのではないかと思って、どうしても建前で話をしてしまいます。それは世渡りをしていく術のひとつではあるのですが、企業のなかで本当に仕事をしていこうと思えば、建前やら通りいっぺんの常識論で仕事ができるわけがありません。本音でぶつかり、指摘し合うことがたいへん大事なのです。
　では、みんな本音でぶつかっているのかといいますと、やってはいません。建前で仕事が進んでいるのが大半です。それはつまり、今までやってきた通常のルール、今までやった通りの手法、方法でやればいいではないか、というものです。通常のことを通常のようにやっている仕事が、一般の企業では大半を占めます。そういうところでは社交術、世慣れたお付き合いだけができればいいわけです。
　たとえば大企業の場合でも、付き合い上手、そしてある程度のオベンチャラを言い、ゴマをすって、建前のきれい事を言っていれば立身出世もしていきます。しかし我々のような中小企業では、毎日毎日が修羅場です。その中で本当に仕事をしようと思えば、本音をぶつけ合わなければ仕事になるわけがないのです。それでも、なかなかできるものではありません。
　たとえば、社内で何か問題が起るとします。不正とまでは言わないにしても、少しおかしいと思うような問題が起きる。その問題に同僚が気が付いても、上司に「誰々の挙動がおかしいんです」と言えば告げ口になってしまう、ええ格好をしようと思って告げ口をしたと思われてはたいへんだからと、おかしいと思いながらも見て見ないふりをする。こういうことは一般の企業にもあるはずです。ですから、相当問題がこじれて大きくならなければトップまで伝わってこないのです。このように「“人間として何が正しいのか”を根幹に置き、そして本音でぶつかっていくのが我々のフィロソフィです」と言い、みんなも「わかった。それでいきましょう」と了解していながら、その局面になるとできなくなるわけです。
　
　本音をぶつけ、口角泡を飛ばしてでも真実を求めて、みんなで議論することは必要です。ただし、本音には条件があるのです。必ず建設的でポジティブな話をしなければなりません。建設的とは、みんなのために善かれという本音でなければなりません。ネガティブなもので、相手を中傷したり、足を引っ張ったりする、相手をダメにするための本音は、たとえそれが真実であっても御法度です。
　建設的でポジティブな議論は、必ずといっていいくらい創造的で建設的な結論に導かれていきます。「こうだと思います」「それはそうや。おまえの言う通りや」とやっていくうちに、建設的で進歩的、創造的な結論に、必ず到達していくはずです。
        
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    <title>「土俵の真ん中で相撲をとる」　</title>
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    <published>2008-07-03T08:58:29Z</published>
    <updated>2008-07-06T09:04:22Z</updated>
    
    <summary>「土俵の真ん中で相撲をとる」　 「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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            <category term="盛和塾" />
    
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        「土俵の真ん中で相撲をとる」　

「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客さまの納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客さまに迷惑をおかけすることはありません。
　このように、私達は常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。
          **************************************************************

　このことに気が付いたのは、私が事業を始めた頃でした。中小零細企業で仕事をしていく中で、売掛金の回収が遅れ、手形決済の期日が来て、金が詰まってきたとします。どうしても金策をつけなければならず、夜中に友人のところに飛んで行って金策をする。あるいは銀行に走ったり、いろんな所に走りまわっているわけです。そういう人をよく見たものです。
　そういう人は、ギリギリになってから一生懸命に走りまわって、そしてやっと手形が落ちたら、「よかった。うまくいきましたわ」と、何か大きなひと仕事をしたような感じになっておられます。しかし、手形が落ちて元々で、落ちなければ倒産する。ただ潰れるのが潰れなかっただけのことですから、いいことをしたのでも何でもないのです。なのに、必死で夜通し駆けずり回って、ひと仕事したような、あたかも一端の事業家みたいな顔をしておられる。
　手形が落ちる日は前からわかっているし、その何日も前にお金の準備をしなければならないことはわかっているのに、何でギリギリになってから走りまわるのか。またそういう人に限って、必ず言い訳みたいな言葉がいっぱい付いてまわります。本当におかしな事です。金策だけでなく、納期の問題でも同じ事です。

　例えば相撲を見ている時、ズルズルッと土俵際まで後退してしまって、仕方がないからうっちゃりを打つ。そうすると必ず行司が判定に迷って軍配を上げ、物言いが付いて、判定が崩れたりする。そういう場面を見て、皆さん、思いませんか？「土俵際に追い込まれてからうっちゃるという大技がかけられるぐらいなら、真ん中で大技をかけなさい」と。
　土俵の真ん中で相撲をとるということは、つまり「余裕のあるときに」ということなのです。業績が悪くなってきて、本業以外に何かやらなければならなくなってきたけれど、そのときには資金力も相当減り、体力も弱ってきています。そうなってから、何か手を打とうとするのではなくて、体力のあるときに手を出しなさい。順調にいっているときには安心して何もしないで、悪くなってから手を打とうとするからますます悪くなるのです。
　いいとき、絶好調のときに、そういう技をかけようと思うならかける。これが土俵の真ん中で相撲をとるという意味なのです。

　これはちょっと、「ええ格好をしすぎはせんか」と皆さんから怒られるかもしれませんが、私は小学校に入ったときは両親がビックリするぐらい成績がよくて、ウチの子は大したもんだと喜んでいたらしいのです。しかし長ずるに及んで学校が面白くなり、友達が増えてきて逆にガキ大将になって、小学校を卒業する頃には、今で言うとオール3という成績になっていました。昔は甲乙丙丁と言いましたが、甲はひとつもなくて全部乙。それでも鹿児島一中という一流の中学校に行こうと思ったのです。先生から「甲が一個もないよう者が受かるわけがない」と言われても、「どうしても行きたい」と言い張って受験をして、案の定すべったわけです。もちろん内申書も悪くて、「非常に素行が悪い」と書いてありますから、受からないのは当たり前です。
　その後、他の中学に入るのですが、それでもやっぱり遊びがいい。旧制中学1年、2年のときは、派手なケンカをよくやりました。そういうことばかりしていますから、もちろん勉強はしていません。

　勉強をしようと思ったのは、新制高校に変わり、高校1年生になってからでした。一緒に勉強をしている仲間が、『蛍雪時代』という本を見ておりました。「何だろう？」と思い、その本を借りて読んでみたら、目から鱗が落ちたのです。
　それまではケンカが強いとか、野球のピッチャーでうまい事が私を支えていたプライドだったのですが、学校の成績が悪いことは非常にみっともないことだと初めて気が付きました。
　正直、勉強をし始めたのは高校2年生の半ばぐらいでした。「これはしまった」と思い、もう一度中学1年生の勉強から、物理、化学、数学、全部やり直して受験に備えていったのですが、優秀な頭脳を持っているわけではありませんから、努力でカバーする以外にはなかったのです。
　普通は、みんな大学までは勉強をして、大学に入ったら遊ぶと言いますけれども、私の場合には中学、高校で勉強していなかったこと、知的なものに飢えていたこと、また遊ぶお金がなかったせいもあって、ガリガリ亡者みたいに勉強をしていました。

　大学で試験の時には試験の1～２週間前には全部何回も復習をして、どこから問題が出ても100点満点取れるぐらいに勉強していました。皆さんも記憶にあると思いますが、勉強というものは大体うまくいきません。それは友達からの誘いがあったりしてつい付き合ってしまい「予習せんならん、復習せんならん」と思いながらもギリギリまで来てしまうわけです。
　やりたい、やりたいと思いながらも勉強ができないまま、ついに試験場に行く。「ああ、3分の2くらいしか調べられんかったな。もっと調べてくればよかったけど、時間がなかった。あそこが出なきゃいいのにな」と思って試験を受けると、案の定、そこが出ている。「シマッタ」という経験が、真面目でちょっと勉強したタイプの人には必ずあります。
　私はそれが非常にイヤなのです。高校の時、恥ずかしいと思って勉強を始めだした頃にそういうことを何回も経験していますから、そのくらい悔しい思いをするなら、うんと前に終わるように計画をすれば、どんな問題があっても試験までには全部調べ終わる。そこまでの余裕をみたスケジュールで勉強すべきだと思って、大学時代、試験勉強をする時は試験の10日ぐらい前には全部調べ終わるというスケジュールを自分で作っていました。
　そういうふうに、試験日が決まっているのであれば何が起っても、その間、空白の時間になっても、それに備えられるぐらいの余裕を持つ。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるということです。その様に学生時代に余裕を持って勉強してきたものですから、手形が落ちる落ちないと言って飛びまわっている人を見ては、「ああ、この人では会社を潰すわ」と思ったものです。自分が手形の決済日を出しているのですから、手形を切ったときからわかっているはずなのです。
        
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    <title>「自らを追い込む」　</title>
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    <published>2008-07-03T08:52:29Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:57:09Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 「自らを追い込む」　 　困難な状況に遭遇しても、決してそこか...</summary>
    <author>
        <name>前田</name>
        
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            <category term="盛和塾" />
    
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        稲盛塾長の講話から
「自らを追い込む」　

　困難な状況に遭遇しても、決してそこから逃げてはいけません。追い込まれ、もがき苦しんでいる中で、「何としても」という切迫感があると、普段見過ごしていた現象にもハッと気づき、解決の糸口がみつけられるものです。火事場の馬鹿力という言葉があるように、切羽詰まった状況の中で、真摯な態度で物事にぶつかっていくことによって、人はふだんでは考えられないような力を発揮することができます。人間はえてして易きに流れてしまいがちですが、常にこれ以上後に退けないという精神状態に自らを追い込んでいくことによって、自分でも驚くような成果を生み出すことができるのです。
          **************************************************************

　私は研究を始めた頃、こういうことがありました。
　連日徹夜をして実験をしているけれど、なかなかいい結果が出ない。苦しみ、もがきながら、さらに研究を続け、切羽詰まった状況がずっと続いている時、ある瞬間にポッと自然に戻ったような気がするのです。非常にテンションがかかって研究をやっているのですが、そのテンションがホッと抜ける。そういうときにパッと閃くわけです。そのヒントでもって実験をすると成功するというそんな事がありました。
　地方大学を出て、京都の松風工業というセラミックの会社に入り、そこでファインセラミックス分野の研究を始めたのですが、私はその分野の優秀な技術屋ではありませんでした。石油化学、合成樹脂といった有機合成の分野が好きで、大学時代もそちらに焦点を絞って勉強をしてきましたし、また卒業論文も有機化学分野のものでまとめようとしておりました。それが、どこにも就職がなく、やっと無機化学、窯業の世界への就職が決まったものですから、卒業間際になってから、卒業論文をセラミックの分野に変えて、泥縄でやってきたわけです。もちろん、大学4年間のなかでは無機化学、窯業の分野の勉強もし、単位も取っておりましたから、必ずしも無知だったわけではありませんが、私には興味の薄い分野でした。
　
　研究に打ち込んでいく中で、私は新しい焼き物の合成に成功しました。それは、GE（ゼネラル・エレクトリック）の研究機関ですでに開発されていたもので、それからちょうど1年遅れでの開発でした。それが松風工業の主力製品になっていきましたし、私が京セラをつくったときの主力製品も、そのファインセラミックでした。
　日本の地方大学を出て、しかも特別専門的に勉強しているわけでもない私が、そういう新しい材料の合成を成功させるのは非常に珍しい事でした。しかしそういうものができていったのは、「何としてもこの研究をものにしよう」と思って自らを追い込んで、狂気の世界にまで自分を追い込んで、没頭した中でヒントが出てきたからだと思います。
　京セラフィロソフィの中には「自らを追い込んで限界までいった時に神の啓示がある」という表現をした物があります。パッと閃いた時、それは神様が「これだけコイツが頑張っているなら何とか助けてあげたい」思い、教えてくれたからだと喩えてもいいのではないかと思います。

　ちょっと脱線しますが、やっと就職が決まって、有機化学分野から急遽、無機化学の卒論に変えた方がいいと言われて、無機化学の先生の所に行ったのですが、その先生は大変人柄がよくて、お酒好きで夜中学生達と飲むという天真爛漫、素晴らしい先生で、学生からもとても慕われていました。
　京セラをつくり必死でやっていたある時、母校を訪ねたことがありました。私はカリカリになって研究をし、仕事もし、会社経営もやっているというのが顔に出ていたのでしょう。先生から「稲盛さん、そんなにキリキリとやっておったのでは身体が保ちませんよ。やはり人間、余裕がなければいいアイデアは出ません。そんなに思い詰めていてはいけません」と言われました。
　「先生、そんなもんじゃないんです。まさに素晴らしいアイデア、素晴らしい閃きは、自分を追い込んで、ギリギリのところで研究をしているときにしか出てこないんですよ。余裕がある時に出たアイデアは思い付きであって、そんな思い付き程度では仕事なんてうまくいきません。ましてや最先端の研究をするのに、思い付き程度では立派な研究なんかできるわけはないんです」と若い頃、非常に人柄のいい先生に、そう言って食ってかかったことがありました。

　「自らを追い込む」というなかには、もうひとつあります。よく火事場の馬鹿力と言いますが、精神が集中したときには、肉体的、物理的な力まで巨大なものが出ることがあります。火事場の馬鹿力は、それを証明しているわけです。
　また、催眠術も同じ事で、「催眠」という形で精神を統一させられ、神経が集中した瞬間、本当にすごい力を発揮するということがあります。このように自らを追い込んでいくことによって、想像もつかないような物理的な力まで発揮でき、精神的な閃きも得られると同時に、想像もできないようなことができるわけです。

　そういう意味で、私は自分で自分を追い込んで、それに熱中する、没頭するということをやってきたわけですが、そこには、さらにもうひとつの効果があります。精一杯自分を追い込むと、その「精一杯やった」「これ以上やれない」という安心感が自分にありますから、あとは天命を待とうとするのです。
　ちょっとヘンかもしれませんが、私の場合には「精一杯やった。あとは天命を待とう。これで潰れるならしようがない」と思うのです。
　それは非常に大事なことで、普通、みんな中途半端にやっていて最悪の状態に落ち込んでいくものですから、精神的に非常に苦労をするのです。たとえば、もう潰れそうだ、金策がつかない、手形が落ちない。「ああ、あのときにやっておけばよかった」と心労を煩わせてしまうわけです。そうなると健康まで害してしまい、場合によっては命まで落としてしまうこともあるのです。
　しかし一生懸命にやって、あとは「ここまでやったんだから」と天命を待つ。その安心立命ができるぐらいにまで、自分を追い込んでやるということがたいへん大事なのです。
        
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    <title>前線の指揮、後方の指揮、機を見て応変に</title>
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    <published>2008-07-02T08:50:45Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:52:10Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 前線の指揮、後方の指揮、機を見て応変に 　「率先垂範する」と...</summary>
    <author>
        <name>前田</name>
        
    </author>
            <category term="盛和塾" />
    
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        稲盛塾長の講話から

前線の指揮、後方の指揮、機を見て応変に
　「率先垂範する」とは、部下を従えて、先頭を切って仕事をしなさいということです。先頭を切って、自分が先頭に立って仕事をしなければなりません。
　これはリーダー論になりますが、リーダーというのは、率先垂範しなければならないと思っています。ですから、先頭を切って自分で仕事をし、その後ろ姿で部下を教育する、教えるのが正しいことだと思って、私は最初から仕事をしてきました。ところが、リーダーが先頭を切って仕事をするのは本当に正しいんだろうかという考え方も一般にはあります。

　では、トップはどこにいるのが正しいのか。私は中小零細で会社を始めた当時からそれが問題であり、疑問でした。

　リーダー論の本を読みますと、トップ、つまり社長は最前線に出ることも大事かもしれないが、それによって大局を見誤ってはならないということがよく出てきます。経理の問題、教育の問題、人事の問題、総務の問題、または技術の問題、工場の問題、そういうものを広く見渡して、すべてに的確に指示を与えていかなければならないのが社長ですから、そのためには全体が見渡せるような高い丘の上にのぼり、そこから全軍の指揮を打つのが正しいはずだということが、一般のリーダー論のなかにあります。また、そういうリーダー論を読んで、そういうことをやっておられる社長さんはたくさんおられますが、私はどうもそうではないように思うんです。

　一線の営業マンと苦楽を共にする。たとえば、戦争映画では、最前線で塹壕を掘って、土砂降りの雨のなか、そこに這いつくばり、敵から打ち込まれてくる銃弾のなかを必死で防戦している。たしかに、最前線の塹壕のなかで泥水をすすりながら兵を励まし、ともすれば崩れそうな自分の陣地を叱咤激励をし、最前線に踏み止まっている部隊長、大将は素晴らしいという評価もあると同時に、そういう考えなしでやっているものだから、その局面は守れたかもしれないが、一方の右翼、左翼の陣が打ち破られて、結局は敗走に継ぐ敗走をして全滅してしまったではないか。あの考えなしの部隊長が格好よく最前線に行き、一部の兵に素晴らしい部隊長だと誉められて、それに酔ってしまっているものだから大局を見失ってしまって、わが部隊は全滅したという
非難を受ける例もあるのです。
　かといって、最前線では凄惨を極め、互いに弾薬が切れて白兵戦になり、敵味方入り乱れて銃剣で血だるまになって戦っているという悲惨な状況も知らないで、後方の丘の上に陣取り、悠々と戦況を見ている。だから、いくら戦況の報告があっても、その緊迫感が伝わらないために戦局を誤る司令官の例もあります。後方にいて見ていたらいいのか、前線に行ったらいいのか。

　私は、どちらも真理なんだと思います。後ろにいて全軍を見渡して指揮を打つのも真理です。最前線で兵と苦楽を共にし、死線をさまよいながら、みんなを叱咤激励するのも真理です。ですから、どちらかに偏っていてはいけないのだということだけはわかりました。
　前線だけで働いていたのでは戦局を誤ってしまいますから、前線で兵を叱咤激励し、みんなと一緒に苦労しながら、取って返して後方に行き、全体を見渡して仕事をする。臨機応変に行ったり来たりすることが必要です。しかし一番大事なことは、やはり、社員の先頭を切って自分が仕事をするという勇気です。私はそう思ったので、率先垂範するということを言っているのです。

　この率先垂範は社長だけの問題ではありません。営業を任せている部長、課長もそうでなければなりません。工場でモノを作っている課長もそうです。人をアゴで動かすだけが能ではないはずです。自分自身で自分の手を染めてやっていくような人でなければなりません。そういう意味でございます。
        
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    <title>渦の中心になる者こそリーダー</title>
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    <published>2008-07-01T08:47:03Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:48:10Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 先輩後輩関係なし。渦の中心になる者こそリーダー 　たとえば、...</summary>
    <author>
        <name>前田</name>
        
    </author>
            <category term="盛和塾" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.usknet.com/blogs/maeda/">
        稲盛塾長の講話から

先輩後輩関係なし。渦の中心になる者こそリーダー
　たとえば、社内において「新製品が開発されたので、その販売計画をたてなければならない」とか、「我が社の社員の質を高めるために、社員教育を行おうではないか」という課題、様々なテーマは四六時中、出てきます。
　そういうテーマが出てくると必ず、「みんな、定時後にちょっと集まってくれ。社長がこの前から、社員教育をやって社員の質を高めようと言っておられるので、そのことについて話をしようと思う」と言い出す社員がいます。それは中堅社員とは限りません。なかには自分の先輩までを集めて、そういうことを言い出し、渦の中心になる社員がいます。
　つまり、会社の中のいろんなところで仕事の渦が巻いている状態、それが活力のある、活気のある会社だと思います。そして、そのなかで自分が中心になって取り仕切っていくような、そういうに渦の中心にいなさい。これが「渦の中心になれ」ということなんです。

　渦の中心で、周囲を動かす為には、問題意識がなければなりません。命令で動かすのではないのです。問題意識があって、その問題を周囲に提供することによって、周囲を動かせるんです
        
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    <title>最上不変の人格</title>
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    <published>2008-06-30T08:44:27Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:46:14Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話より 最上不変の人格とは、仕事に打ち込むなかで作り上げられる 　先...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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        稲盛塾長の講話より

最上不変の人格とは、仕事に打ち込むなかで作り上げられる
　先月末、アメリカ・ワシントンにある戦略研究所で「リーダーとは（リーダーシップと創造性と価値観）」という題のセミナーがあり、スピーチを頼まれていましたので、行ってまいりました。
　私は「リーダーのあるべき姿」というテーマで、人格が素晴らしいからリーダー足りうるのだ、という人格論を冒頭に掲げて、ではそういう人格はどうしてできるのかということを話しました。
　あの人は立派な人格を持っているから、我々のリーダーになってもらおう、となりますが、その人格はその人固有のもので、全然変わらないものではありません。たとえば、非常に真面目で立派な人格者だと思っていたのに、その人がリーダーになり、リーダーを続けているうちに、みんなからチヤホヤされて、段々傲慢になり、最初のときとはまったく違った人柄になってしまうということがあります。つまり、人格は変化するんです。境遇によって、また環境によって、また自分自身の状況によって変わるんです。
　では、変化しない人格というものはどうして作られるのか。私は内村鑑三が書いた『代表的日本人』のなかにある、二宮尊徳を例に挙げてお話をしました。二宮尊徳は日本の江戸時代の農民で、朝は朝星、夜は夕星をいただくまで、鍬一本、鋤一本を担いで田畑に出て農作業を繰り返しておりました。そして非常に貧しい農村を、次から次へと豊かな農村に変えていくという、素晴らしいことをされた人です。二宮尊徳があまりにも素晴らしい業績をあげていくので、貧しく疲弊した村の再建のために、日本各地の殿様が「私の国の村が疲弊しているので助けてほしい」と、彼を呼ぶようになります。彼もそれを次から次へと引き受けて、富める豊かな素晴らしい村へと変えていきました。
　やがて、当時の江戸幕府にもその噂は広がり、晩年には、尊徳を殿中に住まわせるまでになります。そのときのことを、内村鑑三は名文で表現しています。氏素性、生まれも育ちも貧しい家に生まれ、教養も何もない一介の農民である二宮尊徳が、侍や貴族と同じように裃を着けて城に上がり、交わる。そのときの物腰、喋り、言っている内容、すべてが素晴らしいもので、交わるみんなが、彼はどこの生まれなのかと思うぐらい、目を見張るような言動であったといいます。
　朝から晩まで農業しかやっていない人が、物事の本質を究めたために、殿中で貴族や武将とお付き合いをしても、何ら遜色がないどころか、その人達から尊敬を受けるぐらいに素晴らしいものを、尊徳は身に付けていたのです。
　つまり、人格というようなものは、仕事に打ち込むことによって身に付いていくのであって、なまじっか学問をし、勉強をし、本を読んで身に付いていくものではないということです。
　セミナーでは、「物事に打ち込んで打ち込んで人格を作り上げたような人を、すべての組織のリーダーに選ぶべきです。そうすれば、間違ったリーダーを選び、その集団を不幸に陥らせることはないはずです」と話を結びましたけれども、物事を究めるということは、そういうことにも通じていくわけです。

        
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    <title>惚れて好きになれば苦も厭わず</title>
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    <published>2008-06-29T08:42:02Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:48:37Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長から講話から 惚れて好きになれば苦も厭わず 　「仕事が好きになる」という...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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        <![CDATA[稲盛塾長から講話から
<strong>
惚れて好きになれば苦も厭わず</strong>
　「仕事が好きになる」ということは、たいへん大事なことです。それはなぜなのかといいますと、好きになれば、それは苦労だと感じないのです。好きではないものをお義理でやっていると、些細なことでも非常に苦しく感じます。
　私は自分で研究が好きになったために、実は寮から鍋釜を持ってきて、会社の研究室で炊事をし、そこに寝泊まりをして研究をしていました。それはちっとも苦ではなくて、楽しくなったために、そうしていたわけです。
　本人が好きでやっている範囲においては全然何ともない。疲れもそんなに感じないものです。ですから、「惚れる」「好きになる」ということは、大きな仕事を成し遂げていくためのたいへん大事な項目だろうと思います。

　完全主義を貫き、真面目に一生懸命地味な努力を積み重ねれば物事の本質に達する
　「完全主義を貫き」、「真面目に一生懸命仕事に打ち込み」、「地味な努力を積み重ねる」という、この三つのことを四六時中やっておりますと、物事の本質を究めるところに到達していきます。
　仕事に打ち込んで、そしていい加減ではなくて、完全主義を貫いて必死に打ち込んでやっていく。四六時中打ち込んで、3年が経ち、5年が経ち、10年が経ち、15年経っていく。そして物事の本質を究めていくようになっていくのです。
　それは、あたかも禅宗のお坊さんが禅を通じて悟りをひらかれるのと同じようなことにつながるんだろうと、私は思っています。
　私自身5年、10年とセラミックの研究開発、また会社経営を一生懸命にやっているあいだに、何かある核心みたいなものをつかんだような感じになっていったように思います。

　あるとき、テレビか何かで、宮大工の方が対談中、素晴らしいことを仰るのを聞きました。その方は小学校を出てから宮大工一筋に仕事をしてこられ、もう齢は 60、70です。その方が素晴らしい哲学の先生と対談をしておられる。そして、大学の哲学の先生もタジタジするぐらいに素晴らしいことを言われる。私は、「これだな」と思いました。
　「一芸に秀でる」ということです。ものを究めるというのは、ただ単に物を削ったり、カンナをかけたり、宮大工で素晴らしいものが作れるというだけではなくて、人間性まで素晴らしいものを作り上げていく。つまり、一芸に秀でるとか、物事の本質を究めた人は、万般あらゆるものに通ずるんだなという感じがしました。私自身、ぜひ、そういう境地にまでならなければいけないというふうに思いました。]]>
        
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    <title>仕事を好きになったことが私の原点</title>
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    <published>2008-06-28T08:38:50Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:40:48Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 仕事を好きになったことが私の原点 　ちょっと脱線をいたします...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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        稲盛塾長の講話から

仕事を好きになったことが私の原点
　ちょっと脱線をいたします。
　皆さんもご承知かと思いますが、私は今から44年前に大学を出ました。当時は就職難の時代で、朝鮮戦争がおわったあと、日本は不況でした。なかなか就職できないなか、恩師の紹介で、焼き物を作っている松風工業という京都の会社にやっと就職させてもらいました。ところが、就職難のなかをやっと入れてもらったにも関わらず、そこはたいへん景気の悪い赤字続きの会社で、給料も、常に遅配されていました。
　社員寮も本当にボロボロで、畳にはゴザがなくて、なかの藁が臓物みたいに出ていました。花ござを買ってきて、その藁の上に虫ピンで留めて寝なきゃならんという状態です。ですから入った瞬間、もうたちまちに不平不満が出てきました。
　当時、私を含め大学卒業生は5人入社しましたが、その5人は寄ると触ると「こんなボロ会社、早く辞めよう」「早く辞めよう」と言い合って、本当に早く辞めた奴は勇気があるという感じでした。ですから、会社が好きになるはずがありませんし、仕事が好きになるはずもない。もう不平不満ばかりでした。
　そのうちにひとり辞め、二人辞め、結局、夏が過ぎる頃には、5人だったものが私を含め二人だけになっていました。残ったもう一人は、京都大学の化学を出た、九州・天草出身の男でした。
　ある時、その二人で会社を辞めて自衛隊に行こうと話し合い、伊丹の自衛隊で幹部候補生の試験を受けました。二人とも合格することができ、幹部候補生学校に入隊することとなったのですが、入隊するのに必要な戸籍抄本が、私だけ田舎から送ってこないのです。天草の彼は、田舎からすぐに送ってきたのですが、私の実家からは、締切日になっても送ってこないのです。結局、彼だけが幹部候補生の学校に行きました。

　そして、私は一人会社に残ることになり、「こうなったら仕方ない。愚痴をこぼすより、気持ちを切り替えて研究に打ち込もう」と思いました。
　面白いことに、不平不満を言わず、研究に打ち込み始めると、良い結果が生まれる。良い結果が生まれますから、当然、面白くなってきます。そしてどんどん研究に打ち込み、わずか1年ぐらいで、日本では誰も開発できなかった、新しいセラミックの人工合成に成功することができました。後で知りましたが、それはアメリカのGE社で、私が開発する1年前、既に研究開発されていたそうです。

　しかしながらその新しい材料を私が独力で、自力で作り上げたわけです。そのために周囲の人からもたいへん誉められるし、自分もたいへん嬉しいし自信がつきます。　どこにも行けなくなって、しようがなくて、自分の仕事を好きにならざるを得なくなった。実はそこからこんにちができあがっていったのです。
        
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    <title>自燃性を作る2</title>
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    <published>2008-06-27T08:36:16Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:41:40Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 自燃性を作る（責任感と使命感を持たせる） 　もうひとつ、自ら...</summary>
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        <name>前田</name>
        
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            <category term="盛和塾" />
    
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        稲盛塾長の講話から

自燃性を作る（責任感と使命感を持たせる）
　もうひとつ、自ら燃えさせる方法があります。それは、責任感と使命感を持たせることです。
　それは、さほど勝ち気でもないし、さほど積極的でもない人、真面目で大人しそうな人の場合には、責任感を持ってもらう。気が弱く、自分から進んでやろうとはしないという若干の問題があっても、その人を責任のある立場に就け、そして部下を3人でも4人でもつけて、使命感を持ってもらう。そうすれば、若干大人しそうな人でも、自分から燃え上がって「やろう」というふうになっていきます。

　実は先月、鹿児島の京セラ川内工場で、「素晴らしい人生を歩むための五つの要点」という話をしてきました。
　五つの要点の最初に出てくるものが「仕事を好きになる」ということです。私はそのとき、「会社が好きになる」「仕事が好きになる」という二つを挙げました。
        
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    <title>「自燃性を作る（勝ち気で積極的な人材に仕事が好きになるよう仕向けていく）」</title>
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    <published>2008-06-26T08:32:45Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:35:52Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 「自燃性を作る（勝ち気で積極的な人材に仕事が好きになるよう仕...</summary>
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        稲盛塾長の講話から
「自燃性を作る（勝ち気で積極的な人材に仕事が好きになるよう仕向けていく）」

　「自ら燃える」人はどうして作ればいいのか。
　自分から燃える人は、言われて仕事をする、命令されてから仕事をする人ではありません。そうではなくて、言われる前に自分からやります。そういう積極的な人が「燃える人」なんです。
　たとえば、燃える人を採用したい、燃える人を見付け出したいという場合、やはり最初にくるのはその人の性格です。燃えるタイプの人は、まず第一に勝ち気な性格です。そして、常に何事にも積極的な人です。そういう性格の人が、自分が今与えられている仕事が好きになってくると、完全に自分から燃えてくれます。ですから、なるべくならそういう人を採用し、そういう人に、仕事が好きになるように仕向けていくことによって燃える人は作れるのではないかと思います。
        
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    <title>「日々の創意工夫が地味な努力の積み重ねを支える」</title>
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    <published>2008-06-25T08:30:19Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:32:26Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話から 　地味な仕事を毎日毎日やっていますと飽きがきます。倦んでしま...</summary>
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        稲盛塾長の講話から

　地味な仕事を毎日毎日やっていますと飽きがきます。倦んでしまいます。つまりイヤになってくるわけです。私は、そのイヤになることを防ぐ方法と、地味な努力に加速度をつけていく方法を自分で考えました。それは「創意工夫」ということです。
　創意工夫と言えば難しそうに思いますけれども、今日よりは明日、明日よりは明後日と、必ず改良改善を加えるということです。
　そして、創意工夫を伴ってやっていくと、日々が変化します。地味で単純な作業が、今日よりは明日と変化していきますから、面白味も加わっていきます。
　しかしそれは、飽きがこないための方法だけではなくて、実は大きな飛躍をもたらすもとにもなっていくのです。

　地味な努力を積み重ねことはたいへん大事なことです。同時に、その積み重ねのなかで創意工夫をする、改良改善を続けていくことが、中小零細企業から大企業へ変身を遂げていく、ただひとつの方法だと言ってもいいと思います。ぜひ、これを頭に入れてやっていただきたいと思います。
        
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    <title>「地味な努力の一歩一歩の積み重ねが偉大なことを成す」</title>
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    <published>2008-06-24T08:25:56Z</published>
    <updated>2008-07-06T08:29:19Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長講話から 　地味な努力を積み重ねることは、私はたいへん大事なことだと感じ...</summary>
    <author>
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            <category term="盛和塾" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.usknet.com/blogs/maeda/">
        稲盛塾長講話から

　地味な努力を積み重ねることは、私はたいへん大事なことだと感じています。
　どんな偉大な仕事、どんなに偉大なことも、地味な努力の一歩一歩の積み重ねでしかできません。
　自分の会社を大きくしたいと思っていても、今やっている地味な仕事をしていたのでは本当に日本一の会社にできるだろうかと、自分が描く目標とのあいだに乖離を感じて悩んでしまいます。
　ひとりがやれる仕事というのは知れていますし、たいへん地味なことです。しかし、それを続けていくことが偉大なことを成すためのベーシックなものなんです。


        
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    <title>「勤勉なる労働を通じてこそ、真の人格が形成される」</title>
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    <published>2008-06-23T05:00:35Z</published>
    <updated>2008-06-24T00:04:02Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話です。 　リーダーは立派な人格を備えていなければなりません。しかし...</summary>
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            <category term="盛和塾" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.usknet.com/blogs/maeda/">
        稲盛塾長の講話です。

　リーダーは立派な人格を備えていなければなりません。しかし、人格というのは時々刻々と変化するのです。あの人は人格者だと一時は思っても、社会環境やら、いろんな環境が変われば、その人の人柄は変わるのです。
　私は昔、よく「晩節を汚す、老人ボケをする年寄りが多すぎます。ですから、まだ正義感の溢れる若いときに正しいことを貫いてやるべきだと思う」ということを言いましたが、一生懸命働くことによって作り上げた、晩年までかけて、若いときからずうっと苦労に苦労を重ねて、真面目に一生懸命仕事に打ち込むことによって作り上げた人格というのは、そう簡単に狂うものではありません。つまり、そういうプロセスを経て作り上げた人格者、そういう人をリーダーに選ぶべきです。
　真面目に一生懸命仕事に打ち込むこと。それは自分の人生、自分の人格を作り上げるためにもたいへん大事なことなんです。ですから私は、会社の仕事をうまくいくようにするために、ただ真面目に一生懸命頑張れよ、頑張れよと言うのではなくて、それは個々人、京セラという会社に勤めている社員、その人達の個々人の人間性を高めていくことにもつながるのですから、ぜひ、真面目に一生懸命頑張ってくださいよ、と申し上げているわけです。
        
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    <title>「真面目に一生懸命仕事に打ち込む」　</title>
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    <published>2008-06-22T04:59:57Z</published>
    <updated>2008-06-22T13:12:21Z</updated>
    
    <summary>稲盛塾長の講話です。   仏陀が説く精進とは、真面目に一生懸命努力をすることなり...</summary>
    <author>
        <name>前田</name>
        
    </author>
            <category term="盛和塾" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.usknet.com/blogs/maeda/">
        稲盛塾長の講話です。

  仏陀が説く精進とは、真面目に一生懸命努力をすることなり
　私はよく、仏陀が悟りをひらいて、我々に説いたという話をしますが、悟りをひらくとは、心を高める、人間性を向上する、心を美しくしていくということと同意語です。仏陀は悟りをひらくための最初の方法として、「精進」、精進をしなさい、ということを言っております。
　精進するということは、真面目に一生懸命に努めるということです。何でもいいから真面目に一生懸命に努めるということは、報酬を得られるばかりではなくて、人間性を向上させ、人格を高め、心を美しくしていくという副作用があるわけです。
　お寺では、普通の食事を作るのでも男の雲水が作りますし、あらゆる作業をするわけですが、その作業をすることを修行のひとつとして考えています。禅定、坐禅を組んで精神統一を図り、精神を高揚させていくのと同じだというわけです。一心不乱に真面目に一生懸命に仕事をすることは、坐禅をしているのと同じ、変わらないんだというわけです。
　フラフラして仕事をする、ただ頑張っているというのではなく、「真面目に一生懸命」というのは一点に昇華する、一点に絞り込んで努力をしているわけですから、それは坐禅と同じなのです。そういう努力が、人間というものがたいへん立派になっていくもとなんだと考えて、お釈迦さんは修行をしていくなかの第一番目に「精進」という言葉を使っておられるんです。つまり、真面目に一生懸命仕事に打ち込むということです。

　（真面目に、真剣に。人生の豊かさは仕事（本業）に打ち込むなかで生まれる）
　世の中で、特にモノづくりの世界では、名人、達人と言われる人がいます。あの人は名人だと言われるような人は、言わずもがな、生涯を通じて、真面目に一生懸命仕事に打ち込んできたから、名人と言われる、または達人と言われる領域にまでいったわけです。どの業界においても、真面目に一生懸命やった人でなければ、達人、名人と言われるようにはなれません。フラフラと、ただ努力をしましたというようなものでは、なれるわけがありません。
　つまり、名人、達人とは何かといいますと、仕事ができるだけではなしに、その人の心、その人の精神状態が非常に崇高なところにまで高まっていなければ、名人とは言いません。ただモノづくりで、よいものが作れるだけでは、それは技能が高いということであって、名人とは言わない。名人、達人と言われる人は、技能も優れているけれども、その人の持つ心の状態が素晴らしいために、作った作品にもその心が移って、人が感動し、感銘を受けるような素晴らしいものが作れる。それはまさに、真面目に一生懸命仕事に打ち込んでいなければ作れないものです。
　人間、仕事だけが人生ではありませんよ、と言ったりします。趣味や娯楽も要りますよ、立派な趣味を持ち、もっと豊かな人生にしましょう、というお話もよく耳にします。それは本業である仕事に打ち込むことのできない人が、人生のなかで虚ろに感じ、そのために趣味みたいなことに自分の喜びを見い出そうとして趣味のほうに移っておられるのであって、本業に真面目に、真剣に打ち込むことによって、その本業に喜びを見い出すことこそ、プロの経営者として仕事が全うできるもとではないかと思います。ですから、中小企業であれ何であれ、経営者として従業員を守っていく、またお客さんを守っていく、家族を守っていくために、仕事に真面目に一生懸命打ち込むということはたいへん大事なことだと思っています。
        
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