「私心のない判断を行なう」
稲盛塾長の講話より
「私心のない判断を行なう」
何かを決めようとするときに、少しでも私心が入れば判断はくもり、その結果は間違った方向へいってしまいます。人はとかく、自分の利益となる方に偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力も得られず、仕事がスムーズに進んでいきません。また、そうした考え方は集団のモラルを低下させ、活動能力を鈍らせることになります。
私たちは日常の仕事にあたって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんではいないか、と常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。
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極端に言いますと、自分を無視して物事を考える。もっと極端に言いますと、自分というものを犠牲にして物事を考える、これが、私が使っている「私心のない判断を行なう」という意味です。自分に都合のいい、自分に利益があるような結論、判断はせずに、客観的に正しいことを正しく判断する。それが物事を成功させていくためにはたいへん大事なことなのです。ところが、人間は肉体を持っていますから、ものを考えるときには必ずといっていいくらい、私心、自分というものが入ってきます。
たとえば物事を考える場合、何かことが起こることによって直感的に物事を考えて判断をします。その場合には、本能という領域で判断したものが出てくるわけです。本能の領域は、私心、自分のことだけを考えています。ですから、どうしても自分に都合のいい話にならざるを得ないのです。
物事を判断するときには、自分自身を無視して考えるようにしなければなりません。事業経営者ですから本当は自分のことを一番に考えなければならないのですが、考えるときには自分のこと・会社のことは一度棚に上げてから考えてみる、それは非常に大事なことです。思わぬ解が見付かります。
今まで解けなかった問題、相手と絡まり合ってほどけなかった問題が、自分というものを除いて考えたときに、スパッと解けるときがあります。決してそれは自分が損をするのではなくて、相手も喜び、自分も喜ぶという解が見付かるケースはたくさんあります。
では、具体的にはどうすればいいのか。物事というのは何か起ったときにその瞬間・瞬間に考えるのが普通です。そういうふうにパッと考えるときに、「ちょっと待てよ」と一度深呼吸をしてみるのです。大きな問題になりそうだと思ったときは、「ちょっと待てよ。塾長が“自分を無視して、一度考えてみい”と言っていたな」と一度間を置いてから、自分に都合がいいようにというものを除けて、他人事と思って考えるようにするわけです。自分、相手、もうひとり、三つ巴で問題が起っているとすれば、自分ではなくて、第三者として考えてみる。その時にどうなるか。それが自分というものを無視して考えるという意味です。

