「自らを追い込む」
稲盛塾長の講話から
「自らを追い込む」
困難な状況に遭遇しても、決してそこから逃げてはいけません。追い込まれ、もがき苦しんでいる中で、「何としても」という切迫感があると、普段見過ごしていた現象にもハッと気づき、解決の糸口がみつけられるものです。火事場の馬鹿力という言葉があるように、切羽詰まった状況の中で、真摯な態度で物事にぶつかっていくことによって、人はふだんでは考えられないような力を発揮することができます。人間はえてして易きに流れてしまいがちですが、常にこれ以上後に退けないという精神状態に自らを追い込んでいくことによって、自分でも驚くような成果を生み出すことができるのです。
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私は研究を始めた頃、こういうことがありました。
連日徹夜をして実験をしているけれど、なかなかいい結果が出ない。苦しみ、もがきながら、さらに研究を続け、切羽詰まった状況がずっと続いている時、ある瞬間にポッと自然に戻ったような気がするのです。非常にテンションがかかって研究をやっているのですが、そのテンションがホッと抜ける。そういうときにパッと閃くわけです。そのヒントでもって実験をすると成功するというそんな事がありました。
地方大学を出て、京都の松風工業というセラミックの会社に入り、そこでファインセラミックス分野の研究を始めたのですが、私はその分野の優秀な技術屋ではありませんでした。石油化学、合成樹脂といった有機合成の分野が好きで、大学時代もそちらに焦点を絞って勉強をしてきましたし、また卒業論文も有機化学分野のものでまとめようとしておりました。それが、どこにも就職がなく、やっと無機化学、窯業の世界への就職が決まったものですから、卒業間際になってから、卒業論文をセラミックの分野に変えて、泥縄でやってきたわけです。もちろん、大学4年間のなかでは無機化学、窯業の分野の勉強もし、単位も取っておりましたから、必ずしも無知だったわけではありませんが、私には興味の薄い分野でした。
研究に打ち込んでいく中で、私は新しい焼き物の合成に成功しました。それは、GE(ゼネラル・エレクトリック)の研究機関ですでに開発されていたもので、それからちょうど1年遅れでの開発でした。それが松風工業の主力製品になっていきましたし、私が京セラをつくったときの主力製品も、そのファインセラミックでした。
日本の地方大学を出て、しかも特別専門的に勉強しているわけでもない私が、そういう新しい材料の合成を成功させるのは非常に珍しい事でした。しかしそういうものができていったのは、「何としてもこの研究をものにしよう」と思って自らを追い込んで、狂気の世界にまで自分を追い込んで、没頭した中でヒントが出てきたからだと思います。
京セラフィロソフィの中には「自らを追い込んで限界までいった時に神の啓示がある」という表現をした物があります。パッと閃いた時、それは神様が「これだけコイツが頑張っているなら何とか助けてあげたい」思い、教えてくれたからだと喩えてもいいのではないかと思います。
ちょっと脱線しますが、やっと就職が決まって、有機化学分野から急遽、無機化学の卒論に変えた方がいいと言われて、無機化学の先生の所に行ったのですが、その先生は大変人柄がよくて、お酒好きで夜中学生達と飲むという天真爛漫、素晴らしい先生で、学生からもとても慕われていました。
京セラをつくり必死でやっていたある時、母校を訪ねたことがありました。私はカリカリになって研究をし、仕事もし、会社経営もやっているというのが顔に出ていたのでしょう。先生から「稲盛さん、そんなにキリキリとやっておったのでは身体が保ちませんよ。やはり人間、余裕がなければいいアイデアは出ません。そんなに思い詰めていてはいけません」と言われました。
「先生、そんなもんじゃないんです。まさに素晴らしいアイデア、素晴らしい閃きは、自分を追い込んで、ギリギリのところで研究をしているときにしか出てこないんですよ。余裕がある時に出たアイデアは思い付きであって、そんな思い付き程度では仕事なんてうまくいきません。ましてや最先端の研究をするのに、思い付き程度では立派な研究なんかできるわけはないんです」と若い頃、非常に人柄のいい先生に、そう言って食ってかかったことがありました。
「自らを追い込む」というなかには、もうひとつあります。よく火事場の馬鹿力と言いますが、精神が集中したときには、肉体的、物理的な力まで巨大なものが出ることがあります。火事場の馬鹿力は、それを証明しているわけです。
また、催眠術も同じ事で、「催眠」という形で精神を統一させられ、神経が集中した瞬間、本当にすごい力を発揮するということがあります。このように自らを追い込んでいくことによって、想像もつかないような物理的な力まで発揮でき、精神的な閃きも得られると同時に、想像もできないようなことができるわけです。
そういう意味で、私は自分で自分を追い込んで、それに熱中する、没頭するということをやってきたわけですが、そこには、さらにもうひとつの効果があります。精一杯自分を追い込むと、その「精一杯やった」「これ以上やれない」という安心感が自分にありますから、あとは天命を待とうとするのです。
ちょっとヘンかもしれませんが、私の場合には「精一杯やった。あとは天命を待とう。これで潰れるならしようがない」と思うのです。
それは非常に大事なことで、普通、みんな中途半端にやっていて最悪の状態に落ち込んでいくものですから、精神的に非常に苦労をするのです。たとえば、もう潰れそうだ、金策がつかない、手形が落ちない。「ああ、あのときにやっておけばよかった」と心労を煩わせてしまうわけです。そうなると健康まで害してしまい、場合によっては命まで落としてしまうこともあるのです。
しかし一生懸命にやって、あとは「ここまでやったんだから」と天命を待つ。その安心立命ができるぐらいにまで、自分を追い込んでやるということがたいへん大事なのです。

