仕事を好きになったことが私の原点
稲盛塾長の講話から
仕事を好きになったことが私の原点
ちょっと脱線をいたします。
皆さんもご承知かと思いますが、私は今から44年前に大学を出ました。当時は就職難の時代で、朝鮮戦争がおわったあと、日本は不況でした。なかなか就職できないなか、恩師の紹介で、焼き物を作っている松風工業という京都の会社にやっと就職させてもらいました。ところが、就職難のなかをやっと入れてもらったにも関わらず、そこはたいへん景気の悪い赤字続きの会社で、給料も、常に遅配されていました。
社員寮も本当にボロボロで、畳にはゴザがなくて、なかの藁が臓物みたいに出ていました。花ござを買ってきて、その藁の上に虫ピンで留めて寝なきゃならんという状態です。ですから入った瞬間、もうたちまちに不平不満が出てきました。
当時、私を含め大学卒業生は5人入社しましたが、その5人は寄ると触ると「こんなボロ会社、早く辞めよう」「早く辞めよう」と言い合って、本当に早く辞めた奴は勇気があるという感じでした。ですから、会社が好きになるはずがありませんし、仕事が好きになるはずもない。もう不平不満ばかりでした。
そのうちにひとり辞め、二人辞め、結局、夏が過ぎる頃には、5人だったものが私を含め二人だけになっていました。残ったもう一人は、京都大学の化学を出た、九州・天草出身の男でした。
ある時、その二人で会社を辞めて自衛隊に行こうと話し合い、伊丹の自衛隊で幹部候補生の試験を受けました。二人とも合格することができ、幹部候補生学校に入隊することとなったのですが、入隊するのに必要な戸籍抄本が、私だけ田舎から送ってこないのです。天草の彼は、田舎からすぐに送ってきたのですが、私の実家からは、締切日になっても送ってこないのです。結局、彼だけが幹部候補生の学校に行きました。
そして、私は一人会社に残ることになり、「こうなったら仕方ない。愚痴をこぼすより、気持ちを切り替えて研究に打ち込もう」と思いました。
面白いことに、不平不満を言わず、研究に打ち込み始めると、良い結果が生まれる。良い結果が生まれますから、当然、面白くなってきます。そしてどんどん研究に打ち込み、わずか1年ぐらいで、日本では誰も開発できなかった、新しいセラミックの人工合成に成功することができました。後で知りましたが、それはアメリカのGE社で、私が開発する1年前、既に研究開発されていたそうです。
しかしながらその新しい材料を私が独力で、自力で作り上げたわけです。そのために周囲の人からもたいへん誉められるし、自分もたいへん嬉しいし自信がつきます。 どこにも行けなくなって、しようがなくて、自分の仕事を好きにならざるを得なくなった。実はそこからこんにちができあがっていったのです。

