「高い目標を持つ」
京セラフィロソフィー
京都市中京区西の京原町というところで、宮木電機の倉
庫を間借りして、京セラは創業しました。まだ100人に満た
ない従業員を前にして、私はしばしば次のように言いました。
「今は間借りの木造社屋で仕事をしているが、私は京セラを、
原町一、中京一、京都一、日本一、さらには世界一にしたい」
京セラの近くには、京都機械工具という会社がありました。
スパナなどの工具をつくっている会社です。その会社はたい
へん盛況で、いつその前を通っても、すさまじい音と火花をた
てて操業しているのです。
「原町一になろう」と言いながら、横を見ると京都機械工具が
昼夜分かたず頑張っているわけです。この京都機械工具を
追い越すだけでもたいへんなことです。当時の私にとって、
自分が生きている間に追い越せるかどうか不安に思うくらい
でした。
さらに、中京区には島津製作所がありました。高級医療
用測定器をつくっていた島津製作所を超えることなど、あり
えない話のようにも思えました。しかし、それでも「中京一
をめざそう」と言い続けました。自分では、「空々しい」と思
いながらも言い続けたのです。言っている本人が空々し
いと思っているものですから、聞いている従業員にはなお
空々しく聞こえたことと思います。
しかし、実際にはそのような高い目標を追いかけてはい
ないのです。自分で言いながらも醒めたところがあり、あく
までも追いかけているのは、その日1日の目標だけなので
す。毎日朝一番に出て来て、約束した品物をつくるために、
今日一日必死に働く。明日のことなどとても考えられず、そ
の日1日を懸命に生きる。そのような毎日でした。
そんな近視眼的なことで会社は大きくならない、長期の
戦略プランがなければならないということを、評論家や経
営コンサルタントが言いますが、とても考えられませんで
した。
今日1日を一生懸命に生きれば、明日は自然に見えて
くる。明日を一生懸命に生きれば1週間が見えてくる。今
月一生懸命に生きれば来月が見えてくる。今年一生懸命
に生きれば来年が見えてくる。このようにして、目の前の
ことに全精力を傾注して生きることが大切だと考えました。
しかし、これは苦しまぎれに考えたことです。戦略や計画
が決められないものだから言っているだけなのです。
それでも、忙しい毎日にかまけて、高い目標は忘れたか
というと、決して忘れてはいないのです。酒を飲むと調子
が上がり、景気づけみたいに言っていました。すると、お
酒を飲むたびに聞かされるものですから、従業員も洗脳さ
れ、いつのまにかその気になってくるわけです。これが、
京セラをつくってきたように思います。
私のことを例に引きながら、『ステイング・パワー』(=継
続は力なり)という本を出版した、ヘンリー幸田というアメ
リカの弁護士がいます。
その本を読んで気がついたことは、目標が高く現状との
乖離があれば、達成しようという闘争心が失われてしまう
ということです。目標を潜在意識に置きながらも、今日1日
を着実に済ませていくからこそ目標達成に向けての努力
が続けられるのです。
私は、尺取り虫みたいに毎日を積み上げて、39年間飽
きもしないで歩いてきました。しかし、そのような足跡こそ
が「世界一」を成し遂げていくのです。一歩一歩の積み上
げと高い目標とは、一見矛盾するように見えますが、実は
矛盾ではありません。あくまでも高い目標を追いながらも、
日々の生き方は一歩一歩でなければならないのです。
あまりにも遠い道のりを歩くと、飽きてしまいます。また、
自分のひ弱さを感じてしまいます。ところが、1日であれば
歩けます。翌日もまた歩けるはずです。それを、39年間続
ければ、とてつもないところまで歩いていけるのです。

