「ベクトルを合わせる」
京セラ フィロソフィー2-2
京セラを創立した昭和34年頃は、労働組合運動も熾烈で、
労使紛争も頻発し、労使間には緊張感がありました。そのた
めに、左翼思想にまみれた従業員達を、どのように説得すれ
ばまとめていけるかということについて考えなければなりま
せんでした。
労使間の話し合いをつけるためには、経営者側は労働者
を理解し、労働者側は経営の労苦を理解しなければなりま
せん。つまり、労働者と経営者とが、意識においても経営に
おいてもすべてにおいて、同じレベルになっていなければな
らないのです。そのような企業が一番強いのです。
この「ベクトルを合わせる」ことは、「全員参加で経営
する」ということと同じことです。
また、「進むべき方向を合わせる」ということでもあり、わが社
はどういう方向へいくのかということを全員が共有しなければ
ならないということなのです。全社員が会社の考え方を共有し、
さらに会社の進むべき方向も理解していることがたいへん大事
なわけです。
しかし、人は顔が違うように考え方もみんな違う。その違う人
たちが集まってひとつの会社を経営していくわけですから、そ
れはたいへん難しいことでした。
部下に話をすると、うなずく人もあれば反発をする人もある。
私は、そのような人が相づちを打ってくれるまで必死で話をし
ました。効率だけを考えれば、仕事をしてもらった方が得策だ
と思いますが、私は何時間かかっても考え方を改めるまで話
をしました。 それでもなお、まだ分からない人には、「辞めて
くれ」と言いました。「おまえも辛いだろうが、私も辛い。ならば
、おまえの考え方に合う会社に行った方がいいのではないか」
そう言って、たとえ優秀な人でも退職してもらいました。ベクト
ルの合わない人がひとりでもいると、他の人に影響を与えるか
らです。
「独創性を重んずる」 独創性を重んじて、模倣ではなく、独自
の技術で追求してきた。
このように言えば、京セラは素晴らしい技術を持っていたと思
われるかもしれません。しかし実際は、そうではありません。京
セラの製品は当初、松下のテレビのブラウン管に使われる絶縁
材料だけでした。そのため、新しい仕事をしようとすると、東芝、
日立など日本のエレクトロニクスメーカーに行き、「何かお手伝
いできることはないでしょうか」とご用聞きのように尋ね歩くこと
しかありません。 すると、先発セラミックメーカーができなかっ
たような、難しい仕事ばかりを任されました。京セラは、その絶
縁材料しかやったことがないものですから、本来できるはずがあ
りません。しかし、できそうなフリをしなければ、お客様は関心も
示してくれない。ウソを言って注文をもらってくるしかありません
でした。このウソを言ったということが京セラの「独創性」だった
のです。 しかし、ここからがたいへんでした。部下を集め、次の
ように話しました。「東芝で今度新しい製品を開発する。将来数
が増えていくだろう。京セラがその部品を開発すれば、大量の発
注を出すと言っている。しかし、うちには技術もなければ設備も
ない。それでも、この仕事をやり遂げたい」 そういう話をすると、
「十分な設備もないのにできるわけがない」と言ってくる。それに
は、「立派な設備は買えないが、中古機械を買ってやる」と答え
る。すると、「今から探しても、間に合うかどうかわからない。かね
てから設備投資をしておかなければできるものではない」と返して
くる。それに対しては、「このようなやり方を『泥縄式』といい、これ
でいいのだ」と答えていました。
泥縄式とは、泥棒を捕まえてから縄をつくることですが、私は「
泥棒を捕まえる前に縄を用意していたのではコストがかかってし
まい在庫になる、泥棒を捕まえてから縄をつくる方が効率がいい」
と屁理屈をつけて、それを通しました。このことは、先になって「在
庫を持たない」という京セラの考え方に発展していきます。
「独創性」というと高尚なことに思えますが、元々は注文をもらえる
ような技術も設備も持っていない経営者が、従業員を食べさせて
いくために、何とかして注文を取ろうとして、苦肉の策で「独創性」
を発揮せざるを得なかったということに過ぎないのです。
また、敢えて自分を窮する状態に追い込んで、新しい技術を生み
出していくことが大切です。たとえば、立派な研究所をつくり、多額
の研究費を出し、一流大学出身者を集めて得られる研究成果と、
生きるか死ぬかという修羅場で得られる研究成果とでは迫力が違
うはずです。自分や部下を窮地に追い込み、ギリギリのところでも
のをつくっていく、それが「独創性」を生んでいくのです。
このようにものができてくると、「独創性」は続いていきます。つま
り、あるものに成功すると、その経験を応用して次から次へと連鎖
的に応用を考えていくことができるわけです。これが、京セラがワイ
ドレンジの技術を持つようになった源なのです。
京セラでは、そのような「独創性」が習い性になってきました。
25年ぐらい前、ソ連の政府や科学アカデミーの人達が京セラを訪
れて、「セラミック技術がほしい」と申し出て来ました。紆余曲折はあ
ったものの、結局モスクワ郊外に工場をつくりました。当時、日本や
欧米企業では、ソ連と契約してうまくいった例はありませんでした。
ところが、私だけがソ連側の契約書をズタズタにしながら、最後まで
京セラの主張を通して成功したわけです。そのこともあって、京セラ
の稲盛という男は、ソ連とのビジネスをうまくやっているという風聞が
伝わったのでしょう。その方法を教えてくれという、日本の大企業が
何社も出てきました。
企業経営とは、物真似ではできません。たとえば、舗装道路を歩く
人もあれば、あぜ道を歩く人もある、また足を踏み滑らせて泥田のな
かを歩く人もいる。同じ方向を目指しても歩く道が違い、その歩き方
も違います。しかし、それは誰にも教わることはできません。自分で
考えなければならないのです。
しかし、大企業には一流大学を出た優秀な人達がたくさんいながら、
京都の中小企業にまでノウハウを聞きに来るのです。そのような考え
でうまくやれるわけがありません。日本企業の多くが、バブル崩壊に
より不良資産を抱えています。それは人が歩いたあとを教わって歩く
ような、物真似しかしていないからです。
また、第二電電の例があります。京セラでは、創業のときから、「他
社ができないと言ったことをやる」ということが習い性になっています。
「有意注意」でどんな些細なことでも用心深く、真っ暗闇のなかを神経
を研ぎ澄ませ、歩くような生き方をしてきたものですから、同じ手法で
経験のない電気通信事業に乗り出していったわけです。本来なら足が
すくんで一歩も動けず、誰かに手を引いてくれと頼むことでしょう。しか
し、先発のNTTに頼んだのでは、勝負になるはずがありません。自分
自身で考え、自分自身で生きるという姿勢で進めてきました。その結
果が、現在の第二電電になったのです。

