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2008年05月31日

『お客様第一主義を貫く』

京セラ フォイロソフィー

京セラは部品メ-カ-として創業しましたが、下請けの立場
ではなく、自主独立の会社でありました。自主独立とは、お
客様が望まれるような製品を次々と生み出すということです。
お客様のニ-ズに対して、徹底してチャレンジするという姿勢
が大事です。お客様に喜んで頂くことが商いの基本であり、そ
うでなければ利益を挙げ続けることは出来ません。
お客様に喜んで頂く事は商いの基本で有り、『お客様第一主義
を貫く』ということなのです。

2008年05月30日

『原理原則に従う』

京セラフィロソフィー

京セラは創業時より、原理原則に従って判断をして来まし
た。この原理原則とは、いわゆる経営の常識ではなく、人
間として何が正しいかという判断基準です。世間一般の道
徳に反しないような、人間として正しいことを正しく行うとい
うことであります。どんな時代になろうとも、人間として正し
いことを判断基準にしようと言って来ました。

2008年05月29日

全従業員の物心両面の幸せ

京セラ フィロソフィー1-7

京セラという会社は、稲盛和夫という男の技術を世間に問
う場として設立されました。しかし、設立2年目に高卒の社
員達から団体交渉を突きつけられ、全従業員及びその家
族を養う事の重要性に気ずかされました。
それから、会社の社是を『全従業員の物心両面の追求する
と同時に、人類社会の  進歩発展に貢献すること』いうふ
うに換えました。
この様な経緯で京セラフィロソフィ-を作り、フィロソフィ-の
最初に次の様な  ことを掲げました。
『私達が目指す物心両面の幸せとは、経済的な安定を求め
る同時に、仕事の場を通じ自己実現、生き甲斐や働きがい
と言った、人間としての心の豊かさを求めていくものです。
又、我々の技術を磨き、素晴らしい製品を世に送り出すこと
によって、科学技術への貢献、会社としての利益を挙げ続
けることによって、税金を納め、公共福祉のに貢献していき
ます。それは人類社会の進歩発展につながるのです。京
セラフィロソフィ-はその為の行動指針として、素晴らしい
人生を送るための考え方の基準として体得し、実践してい
かねばならないものです。』

2008年05月28日

京セラフィロソフィ-手帳を紐解く

京セラフィロソフィ- 1-6

私は7名の社員共に京セラを作りましたが、資金も建物も、
機会も無い中で創業をしました。その中で社員を家族と思
い、人の心というものを拠り所としようと決心致しました。そ
れは、人の心ほど移ろいやすく、頼りにならないものもない
かわりに、ひとたび堅い信頼で結ばれれば、これほど強く
頼りになりものもないと私は思ったからです。その後、この
人の心をベ-スとして京セラを経営して行く中で、私は様
々な困難に遭い、苦しみながらもこれらを乗り切って来まし
た。その時々に、仕事や人生について、自問自答する中か
ら生まれて来たのが、京セラフィロソフィ-であります。
この京セラフィロソフィ-に共鳴し、人間の持つ無限の可能
性を信じて、際限のない努力を社員と共に続けてきたからこ
そ今日の京セラがあるのです。
私は皆さんがこのフィロソフィ-を勉強され、従業員の方々と
共有することが大事だと思います。全従業員が理解し、納得
し、共有することによって素晴らしい結果が出るはずだと思い
ます。

2008年05月27日

【熱意とは誰にも負けない努力のこと】

京セラ フィロソフィー 1-5

先程の方程式で、『考え方』が大事ですと言いましたけれど、
『熱意』も大切であります。熱意とは、自分自身の意志で決
められるものであり、それ故この熱意で大きな差が生じてし
まうのです。
私が盛和塾で『誰にも負けない努力をしなさい』と言っている
のは、能力にかかわらず、人間皆平等だからです。人が努
力していれば、更にその上の努力をすればよいのです。誰
にも負けない努力をするという『熱意』です。これは本人の自
覚なのです。
先程言いました、素晴らしい考え方、そしてこの誰にも負けな
い努力があれば、少々他人よりも能力が無くても、一流の学
校を卒業していなくても、結果は大きなプラスとなって表れま
す。

2008年05月26日

【目標を世界一とした京セラ】

京セラ フィロソフィー 1-4

京セラは約40年前、従業員28人で創業し、当時から『世
界一』を目指すということをことあるごとに従業員に言ってま
いりました。
当時は漠然とですが、高い目標を設定、その目標に向かっ
て行こうと言ってたわけですが、今になって考えると、この
考え方が、まさに世界的にセラミック会社になっていく為に
絶対的に必要なことだったのです。
京セラが出来て20年位してからは、私が言う考え方に反
発する人間もいなくな  りました。なぜなら、立派な会社に
なっているという実績があるからです。私の言う考え方で、
全社一丸となって会社経営をやって来た結果、会社がこん
なにも立派になっているものですから、もう私の方に議論す
る必要がなくなってしまいました。

本日は、日経ソリューションビジネス主催の
ビジネスフォーラム2008春(青山ダイヤモンドホール)

『科学的手法で、確実に営業力向上を実現

営業効率・売上増を実現させるチーム営業の極意』

というテーマで
①強い営業はチームで動く、勝てる”提案営業”の極意
  アスクラボ CEO 川嶋 謙氏
②コミュケーション強化で組織力を高める実践営業の極意
  グランド・デザインズ  藤本 篤志氏
③野村総合研究所の事例に見るチーム営業の実践
  野村総合研究所 BESTWAY事業部長 二村 修氏

非常にためになるセミナーでした。
マネージャーの重要性を再認識するとともに、日報はソフト
クリームですぐ対応しないといけないと教えられました。
今日より実践!!

2008年05月25日

【どの山に登るか?という考え方で全てが左右される】

京セラ フィロソフィー 1-3

盛和塾で既に皆さんにお話しておりますが、『人生の結果、
仕事の結果=能力×熱意×考え方』という方程式で出来て
いると思うようになったのです。
私は田舎大学出で、都会の一流大学を出たわけではありま
せん。『能力』という点では決して一流ではないかもしれませ
ん。しかし、『熱意』というのは、たとえ能力が若干落ちても、
誰にも負けない努力をするという熱意だけは、自分の心の持
ちようで決められる。それは足し算でなくかけ算で表せるとい
う事は、熱意がとても大きい場合には、結果として非常に大
きい数字になるのではないかと私は思っております。
次にくるのは、『考え方』です。これは、その人の人生観、哲
学なのですが、これもかけ算で表される。そしてこの考え方
には、マイナス100からプラス100まであるということです。
極端な例ですが、能力も熱意も大変有る方が、世の中を斜に
構えて泥棒稼業に精を出せば、それは大変大きなマイナス
の考え方なので、結果は大きなマイナスです。『考え方』が
少しでもマイナスであれば結果はマイナスになるのです。
『考え方』というものが、実は大きな影響を及ぼしているのだ
と、私は思い、先程述べた様な方程式で人生がもし決まるの
なら、『考え方』を立派なものにすべきだと気付きました。
戦前には、修身や道徳という中で、考え方を習ったのですが、
戦後それらが全部否定されました。当時の日本政府が、修
身とかを利用し、日本を軍国主義にしてしまったからであり
ます。しかし、立派な考え方をするということは、大変大事な
ことだと気付いた私は、この『立派な考え方』というものを会
社のフィロソフィ-の中に全部取り入れ、立派な考え方で人
生を歩もうということで、京セラフィロソフィ-が始まったのです。
会社を設立してしばらくの間、『こういう考え方をすべきだ!』
と私が言い続けておりますと必ず反発がありました。『思想、
哲学、考え方を強制するのか?』と、私自身にも確かに行き
過ぎではないかと思う事もありましたが、悩みながらこういう
方向に持って行きました。
人生という山道を歩くのに、どの山に登るかによって、準備も
違ってくるのです。 近くの低い山であれば、軽装でOKです
し、冬の八甲田山であれば、重装備が必要です、更にエベレ
ストであればあらゆる装備を準備し、高度な技術も必要になり
ます。
つまり、どういう人生を歩むかによって、考え方はいろいろある
ということです。
今日は、秋田の方にとって始めての講話になりますが、皆さ
んがどの山に登ろうとしているのか、自分の人生を充実で立
派にしたいと思うなら、立派な考え方を持たなければならない
という事を理解して頂きたいと思います。

本日は、嫁と2人で今年は、資格試験に挑戦しようと
いうことでファイナンシャルプランナー3級を受験しました。
さてさて、結果は7月に・・・・・・・受かってますように


雑学として
ファイナンシャル・プランニング技能士
2002年4月、職業能力開発促進法に基づき「ファイナンシャ
ル・プランニング技能士」という国家資格(名称独占資格)が
生まれました。
ファイナンシャル・プランニング技能士資格は「ファイナンシャ
ル・プランニング技能検定」の合格者に与えられる資格(称号
)です。ファイナンシャル・プランニング技能士は、1級技能士か
ら3級技能士までの等級があります。

人はそれぞれ生き方や考え方が違いますし、人生に対する
夢や希望も千差万別です。もちろん家族や生活する環境・経
済基盤も違います。しかし、どのような生き方をするにしても
金銭的な問題は避けては通れません。
税金や公共料金・年金・教育資金・住宅ローン・生命保険・
損害保険・不動産など暮らしの中の金融システムは益々複雑
を極め、「何が最良」で「どれが最善」かを理解して選択をする
ことは非常に難しい状況になってきています。
そこで生まれたのが家計に関する幅広い知識を備えた「ファイ
ナンシャルプランナー」です。つまり個人や家族が安心して暮ら
すために家計に関する金銭的な裏付け作りをアドバイスする「
家計のホームドクター」のようなものです。
「自分や家族の暮らしを大切にする」アメリカでは職業別電話帳
にも「Financial Consultant/Financial Adviser」という職業の分
類があり、40~50万人がFPとして働いており、多くの個人や家
族の暮らしを支えています。

2008年05月24日

【その人が持っている哲学が、人生、会社の未来を決める】

京セラ フィロソフィー1-2

研究に打ち込んでいる中で、フィロソフィ-、人生観という
ものが非常に大事だということに、漠然と思い始めました。
私の人生も、京セラという会社の未来も、私どもが心に抱
く考え方、人生観、そういうもので決まるのではないかと
思いました。
京セラが始まった時から、私は経営のトップとして従業員
をまとめていかなければなりませんでした。従業員達をど
のように1本にまとめていくか、それは私にとっては大変な
ことでありました。
私というタガネを中心に、従業員を1本にまとめなければな
らない。その為には立派な私自身の考え方、人生観を持っ
ていなければ、決して人を惹きつけていけないだろうと思い
ました。だから、経営を続けていくためには、立派な経営を
続けていく為には、私の人生観、哲学を立派にしなければ
ならないと私は強く思ったのです。

2008年05月23日

京セラ フィロソフィー1

盛和塾の教えを紹介したいと思います。
【フィロソフィ-の大切さ】

私は京セラを作り今日まで経営するに当たり、京セラフィ
ロソフィ-というものを社員に語り、社員と共に実行してき
ました。その結果が今日の京セラを作り上げました。
 本日は秋田の開塾に当たるので、本日より京セラフィロ
ソフィ-手帳の1頁より紐解いていきたいと思います。
 紐解く前に「京セラフィロソフィ-」ということについて若
干お話しします。   私は鹿児島の生まれで、鹿児島大
学を出て、京都の会社に就職しました。会社は赤字続き
で、給料の遅配も多いそんなボロ会社でしたが、私はファ
インセラミックの研究部で研究を始めました。
あまりのボロ会社だったものなので、私は早く辞めて、違
う会社へ行こうとばかり思っておりました。しかし、大変な
就職難の時代で、会社を辞めても他の会社に簡単に就職
できることも出来ない状況でしたから、私は悶々としながら
、不満を一杯持っておりました。会社を辞めようか、どうしよ
うか、非常に悩んであげく、行くところがないことに気づき、
若いときのはけ口を研究に求めました。
結局、不平不満を外にぶつけても意味がないと思い、自分
の研究に没頭していきました。その結果、人が出来ないよ
うな、世界でも2番目という素晴らしい研究が進みました。
 そういう煩わしい、窮の状況から逃げよう逃げようと考え、
逃げるために研究に打ち込んだ。必至に研究に打ち込んだ
、実はそのことが、人生観、私なりの哲学というものをつく
っていったのです。
そしてそれをベ-スに、京セラフィロソフィ-というものがつ
くられたのです。

2008年05月22日

後出しで必勝

モチベーションアップのお話 第100話
やっと100日連続達成です。これからも
モチベーションもアップする話を載せていきます。
ありがとうございます。

後出しで必勝
 ジャンケンの究極の必勝法は「後出し」です。この「後出し」
が、お客様に商品を勧めるときには効果を発揮します。
 生命保険のセールスマンKさんは、この「後出し」に留意し、
常にトップクラスの成績です。しかし以前の彼は、自分勝手
な「先出し」によって、お客様から契約を断わられてばかりで
した。
 〈こんなにいい商品なのに、なぜ断わられるのだろう〉と悩
んだ結果、〈そうだ、相手の求めるものや悩んでいることへの
配慮がなく、ただこちらの言い分を先出ししていたからだ〉と自
分なりに答えを出したのです。
 それからは、「相手の希望は何か」「心配事は何か」などを丁
寧に引き出す努力をしていきました。そして、相手が求めるもの
に応じた商品を後から勧めるようにしたところ、自然と契約件数
が多くなっていったのです。
 「後出し」ができるのも、まずは自社の商品やサービスに惚れ
ていることが最低条件です。その上で、相手への思いやりを最
大のポイントと考えましょう。

今日の心がけ●お客様の求め(ニーズ)に応えましょう

明日からはせっかく盛和塾での学びを継続していますので
稲盛塾長の教えを載せていきたいと思います。
門外不出ですが、
京セラ フィロソフィー(企業哲学)のお話です。

2008年05月21日

売れる近道

モチベーションアップのお話 第99話

 自慢のサンドイッチがほとんど売れない日が続き、悩んで
いるパン屋がありました。サンドイッチはすべて手作りでした
が、それをアピールしてはいませんでした。そこで店主は、
「手作り」を前面に打ち出そうと考えたのです。
 さっそく目立つようにサンドイッチを陳列し、あわせて店の主
人の似顔絵入りで「今朝、私が心を込めて手作りしたサンドイ
ッチです。安心してお召し上がりいただけます」と大きく書いて
PRをしたのです。するとどうでしょう、とたんに売れ始め、連日
売り切れになったのです。
 「そんな簡単にうまくいくはずがない」と思うのが普通でしょう
が、まずは身近なこと、できることから始めてみるという第一歩
が大切なのです。何事も勇気を持って第一歩を踏み出せば、
二歩目はスムーズにいくようになっていきます。気づきや閃【ひ
らめ】きも冴えて、ビジネスチャンスが自【おの】ずと広がるはず
です。
 まずは動きましょう。明るく朗らかでキビキビとした行動は、お
客様に温かさを感じさせます。
行動力を高め、仕事の質をアッ
プさせていきたいものです。

今日の心がけ●まず動いてみましょう

2008年05月20日

17「 人生は神の演劇、その主役は己自身である 」

- 人 生 神 劇 (じんせいしんげき) -
 宇宙の生命、統一の中心、万象の根源、これを神あるい
は仏と言う。
民族により、宗教により、いろいろと名称は異なり、観方は
違っているが、ただ1つの宇宙の統一力、支配者、主宰者
をいうのである。しかし神は幽なるもの、説明を越え、思惟
を絶する、感覚の外にある。言いようもなく、考えようもない。
絶対と言い、無限と言うも、光明無量又寿命無量、そうした
言葉の末で、その真をつくし得るものではない。言えばすで
にちがう。考えれば、もうこれとはなれる。
 万象は神の発顕、世界は神の顕現、人は神の性をうけて
現われ、恰も天界での星の如く、小宇宙をなし、小中心をな
して、その各々の境に於て主置に居る。
 すでに、幽なる力が顕われて万象となり、形をとった力は、
ひそんで幽界に統一する。故に幽顕一体であり、神人不二
である。
 この理を実にしたもの、これを神人合一、解脱、見神等と
名づける。
 ここまで行きついて、人は初めて真の自由を得る。自在奔
放、心の欲する所に従ってのりをこえない。幽顕に出入し、
神人に優遊して、自在ならざるはない。人かと思えば神、神
かと思えば人、神人一致である。ここに人が顕界の主となる
意義が成り立つ。
 人は生命を神にうけているが、1度生れれば、各々の自性
をうけて自由となる。この自由は、舞台における俳優の自由
である。
 人生は演劇である。劇作家、監督、演出、それは、ただ1
人でかねていて、絶好無比、周到無類、到らぬくまもなく、及
ばぬ時処もない。こうもこまかにゆきとどいたものかとおそれ
ている。その上批評もし、報酬も与え、賞罰もあるが、公平
無私、かつて1度の手落ちもなく、しすぎもない。
 この演劇は、悠久の古から永遠の未来にまで踊りつづけ
ている、大規模の幕切なしの劇である。全地上が舞台であ
り、濃藍の海と、緑の岡と、コバルトの空と、背景の美しさ。
花あり、紅葉あり、鳥鳴き、魚躍る。廻り舞台には昼夜の別
もない。
 その大演劇の主役は、己自身である。家にあっては父、
会社に出ては社員。そして旅行もあり、選挙もある。その時
、その場を、いかに、真理(神)の筋書に合するように演出し
ているか。
 役者がこの頃なまけているぞ、いや得意になりすぎたぞ。
名優は言った、「うまいと拍手されるような事ではだめだ」と。
時には他人の演ずる舞台の、観劇の場面もある。何れを見
ても、悲劇・喜劇が、演ぜられている。小説や映画などは、
この人生劇の1部を切りとって、解説した説明書である。こ
れを手引に、地球座人生劇場の、真理の芸術を、満喫して
は如何であろう。
 無料、露天大活劇、新旧、喜悲、男女、老若、とりどりの
大演劇である。そしてその主役は己自身である。
 演出の作法(ルール)は絶対倫理であり、万人幸福の倫
理である。

モチベーションアップのお話 第97話 相当

2008年05月19日

16「 己 を 尊 び 人 に 及 ぼ す 」

- 尊 己 及 人 (そんききゅうじん) -
 人は案外、浅知恵である。世の中にたった1つしかない宝
を1ばん粗末にしている。その宝は、己自身である。昔、ある
アフリカ人にカッパを与えた。雨が降り出すと、それをたたん
で、わき下にかかえ、雨にぬれながら歩いて行ったという。
 着物や金などは、大切にする、けちけちする。又、人から悪
く言われたりすると腹をたてるが、その実、自分自身はいっこ
うに大切にしておらぬ。
 いわゆる保健衛生に注意せず、命を縮めていることについ
ては、ここに記すまでもない。人は働けば健康である。なま
ければ体は弱る。それに、何とかして仕事をすまい、うまい
物はたべたい、楽はしたいと願う。これを命をちぢめたいとい
う事になるのである。とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねた
み、不足不満の心、それはただに、一切の病気の原因にな
っているだけでない。生活を不幸にし、事業を不振にするも
とであり、己の不幸をまねく根本原因であることを知らぬ。
 最も己を大切にすることは、自己の個性を、出来るだけの
ばして、世のため人のために働かすことである。それには、
仕事をなまけ、研究を怠り、身をおしんでいては、とても出
来ることではない。己の一切を学問にささげ、事業に傾け、
仕事に没頭してこそ、はじめて異常の働きができる。
 己の、大きな向上、躍進、完成は、己を空しくすることで
ある、身をささげることである。ここに必ず真の幸福が添う
のである。
 己を尊ぶ心そのままを人に及ぼしてこそ、世界は尊敬
の光につつまれ、愛の慈雨にうるおされて、地上の楽土
が出現する。
 己を尊ぶの極は、ささげるにある。ここに人を尊ぶと己
の尊ぶと、一如の絶対境が現われる。ささげ尽して己が
なくなった時、一切が己となる、天地が己となる。自他一
如、捨我の絶対境である。人の喜びが、まことのわが喜
びである。世と共に喜び、人の悲しみをわが悲しみとする。
 小さい己は、消えうせて、天地と共に生きる不死永遠の
絶対境である。

モチベーションアップのお話 第97話 相当

2008年05月18日

15「 信 ず れ ば 成 り 、 憂 え れ ば 崩 れ る 」

- 信 成 万 事 (しんせいばんじ) -
 自信のないことは失敗する。練習するということは、その
仕事なり、競技なりに慣れて間違いのないようにするのが
、その形から見たところで、その実は、信念をつけるのであ
る。信念をねりかため、ねりあげるのである。きっとできるぞ
、きっとやるぞ、と動かぬ信念がその事を成就させる。
 自信はモーターの馬力である、仕事の推進力である。形
ではまだ出来ていないが、心ではもう出来上っているので
ある。
 信ずるという事は、事実そうであるから、それと信ずるの
ではない。
そうであることは信ずるも何もない、もうすでにそうである。
ほうとうに信ずれば、そうなるのであり、必ず信じた通りに
させるのである。
 「信ずるが故に神あり」とは、この事をいう。信ずる所に神
が現われ、仏がまします。故に「信は力なり」と言う。
 人は、縄をもっては、その肉体をしばる事はできるが、そ
の精神をくびることは出来ぬ。人の心をかなしばりにしばり
つけるものは、ただ一つ信(まこと)あるのみである。「士は
己を知る人の為に死す」(『史記』)と言った。知るとは信ず
ることである。心の底から信じてくれる人には、うえをつくこ
とが出来ぬ。信ずる人をごまかすことは出来ぬ。
 人の世の交りの本は「信ずる」ことであり、事をなすの根
本の力は信念である。決心の強いか弱いかによって、仕
事の成否がきまるが、決心ということは、今までなかった
事を、こうしようと信念を定めることである。「ちかい」(誓)
というのは、人と人とが、又人が人以外のものと結びあっ
て、信念をかためることをいう。
 「祈り」は、神にすがって信念を確立するのであり、大宇
宙の大信念と一致しようとするのである。「祈るときすでに
成就したものと思え」とは、そのことである。
 悪人を善人にするただ1つの道は、信ずるにある。悪人
だから信じられぬというのが常識であるが、悪人だから信
ずる。信ずるから悪をしないのである。信は、動いて愛とな
る。そして、すべてをうるおし、すべてを充たす。信には欠
けるところがない。信は成し、信はみたす。
 憂えるのは疑うからである。あぶないから憂えるのでは
ない。憂えるから失敗する。憂えるからあぶない。病気は
恐れ憂えるから長びく、重くなる。事業は憂えるから崩れ
る。農業のような自然力によった仕事でも憂えるから実り
が悪くなる。うれえるの反対は、喜ぶことである。希望に
もえること、信ずることである。喜びより発して、信に帰る。
愛は信より発する光であり、熱である。人生は信によって
成る。乱れは信の欠けたことからおこる。

モチベーションアップのお話 第96話 相当

2008年05月17日

14「 希 望 は 心 の 太 陽 で あ る 」

- 心 即 太 陽 (しんそくたいよう) -
 夜が明けたから、日が出るのではない。日が出たから夜
が明けて、天地が明るく、万物が眠りからさめて、生々と活
動をはじめるのである。夜になっても、太陽はなくなったの
ではない。地球はいつも太陽の光明の中につつまれ、温
熱の胸にいだかれている。ただその半分だけは、しずかに
休ませて、明日の働きを一段とかっぱつにさせるために、
黒のヴェールでつつんでいるのである。
 希望は心の太陽である。つごうがよいから希望をもつの
ではない。一生に2度と出くわすことの出来ぬ仕事だから
希望をもつのである。天から与えられた命、親からいただ
いた体、世界にたった1つのこの肉体だから、その前途に
もえるような希望をもつのである。
 一時の苦しみ、しばしの痛み、それは更に大きく、いよい
よ健康に進み高まるための、しばしのくらがりである。これ
が去ったとき、夜あけのような光明の舞台が開ける。雨後
のような晴ればれしさがめぐってくる。夜になったといって、
だれが悲しむ者があるか。休みの時がきたのだ、すでに明
朝が近づいたのだ。必ず明日がくる。
 悲観は、雲である。憂いは、霧である。さわやかな希望
の薫風で吹きはらおう。燈火をあかるくしよう。そして高く
掲げよう。燈を太くしただけ、高くかかげただけ、必ず前途
は打ち開ける。
 今日に希望をもとう。明日に希望をもとう。前途にようよう
たる希望をもとう。仕事に、研究に、又身体に、日に月に新
たな希望にもえていこう。
 うまく行かぬから、望みを失うのではない。望みをなくする
から、崩れて行くのである。みかけがよく見えたり、悪しく見
えたりするのは、ただ表面の変化であり、一時のきまぐれで
、かえっておもしろい事である。それは、すでに大きくのびる
ための、一時の屈曲であり、高くのぼるためのふんばりであ
る。
 常に心の燈火を高くかかげ、希望を強くもやし、仕事に情
熱をこめよう。友に光を分とう。家の、村の、町の希望のみ
なもととなろう。
 国の発電所となろう。民族の太陽となろう。
 太陽の光と熱とが無限であるように、希望はいくら燈して
も尽きる日はない。いくら高めても高すぎることはない。
 あなたの仕事に、無上の希望をもちましょう。
 あなたの体を、無限の希望でつつみましょう。
 あなたの人生は、不断の希望の燈火でもえ立たせまし
ょう。
 太陽の焔、天日の輝き。
 希望は常に若々しい。
 希望は永遠の光である。

モチベーションアップのお話 第95話 相当

2008年05月16日

13「 本 を 忘 れ ず 、 末 を 乱 さ ず 」

- 反 始 慎 終 (はんししんしゅう) -
 枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れ
がちである。
初めは注意深くしっかりするが、終りは、どうにでもなれ、
やぶれかぶれだ。これは世間にありがちのことである。
スタートを切るそのとたんと、ゴールに入る一瞬、それで
一切がきまる。ただそれだけではない。
 世の中のことは、過ぎたらもうそれでよいというもので
はない。苦しんで入学試験を受けて、登校が許された喜
びの日を忘れ、勉強しようとして学問に志したことを忘れ
るから、怠ける、あやまちがおこる。
 開店の日のいきごみと、友人のよせられた厚意を忘れ
るから、少しの困難にも、気をくじかせる。終始一貫とい
うことは、成功に秘訣であるが、これが出来ないのは、
皆本を忘れるからである。
 世に、「恩を忘るな」ということがやかましく言われるの
は、本を忘れるなという意味である。食物も、衣服も、1
本のマッチも、わが力でできたのではない。大衆の重畳
堆積幾百千乗の恩の中に生きているのが私である。こ
のことを思うと、世のために尽さずにはおられぬ、人のた
めに働かずにはおられない。
 そうした中でも、最も大切な、わが命の根元は、両親
である。この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、
日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強い
からではない。世の中にただ1人の私の親であるから
である。私の命の根元であり、むしろ私自身の命であ
る親だからである。
 ちちのみの父に似たりと人が言ひし我まゆの毛も白
くなりにき。 (僧 愚庵) 年をとると、年々父に似てく
る、母に似てくる。たべもの、飲もの、顔形、くせ、考え
方まで。なつかしの父母よ。
 親が病気するのは子が不幸だからである。現にこれ
に気がついて、その子が行ないを改めたため、親の不
治の病が直った体験は、『新世』誌上に次々に発表せ
られる通りである。
 ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなけれ
ば、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。
いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何
1つ満足にはできない。
 親をとおして己の生命の根元にさかのぼれば、そこに
神仏にかえる。尊神崇祖、即宗教に入ることが、真の人
となるゆえんは、ここにある。
 
「立つ鳥は跡をにごさず」といわれる。あと片づけをせず、
使った道具の手入をせず、靴を揃えぬ、傘のしずくを乾
かさぬ、こうした事は身のたしなみとしての単なる作法
だとか、行儀とかと心得ているのが、これまでの考えで
あるが,これを忘れることが、いろいろの不幸の原因とな
るのである。
 ある家の子供が、もう相当な年齢もなっていても、小便
をするに所と時を選ばぬ。困りぬいたあげく、喜んで、すべ
てのあと始末をする決心をして、両親がその生活をかえた
時、ぴったりとこれが直った。子供のよだれくり、自分のも
の忘れ、犬猫等家畜の不始末等は、こうした末を顧みない
、だらしない心境の反映であることが多い。
 ただそれだけではない。こういうしりのしまりのない人々の
仕事は、多く七八分まで行って崩れる。もうだいじょうぶとい
うところでガラリと行く。そしてこれを他人のせいにし、時勢
の罪に帰せようとするが、実は、皆己の心境の反映にすぎ
ない。
 小さい事に末を乱す人は、大切な事に終りを全うしない。
その極は悲惨な死様をすることにさえなるのである。 昔の
人は死を重んじ、りっぱな死に方をしたいと念じた。正しく生
きた人でないと、美しい死に方はできぬ。見事な死にようを
した人は、見事な一生を貫いた人である。

モチベーションアップのお話 第94話 相当

2008年05月15日

12「 物はこれを生かす人に集まる 」

- 万 物 生 々 (ばんぶつせいせい) -
 「物は生きている」と言ったら、半分は「そうだ」と言い、半
分は「そうではない」と言うであろう。しかし物はすべて生き
ている。着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。
 大切につかえば、その持主のために喜んで働き、粗末に
あつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹
立てて食ってかかる。けがをするというようなことはこうした
場合が多い。
 朝ばん、道具を拝むようにして働く農夫や大工が、その道
具でけがをするというようなことはない。不足不平でぶつぶ
つ言い、機械をかたきのようにいやがり、どれいのようにこ
く使している人は、その機械の運転がまずく、時には大けが
することさえある。仕事に精根をかたむける人は、まず用具
に手入れを十分にし、用具を大切にする。
 用具をわが手足の如く大切にし、衣服をわが体の如く愛
するだけでなく、農夫は作物を、生産人はそれぞれの生産
品を、わが子の如く愛し、慈くしむ。そうした人たちによって、
この上もないよい物が、たとえようもなく、たくさんに産み出
される。
 物を象徴し、すべての財を具象したのが金銭である。金
銭は物質の中で、最も敏感な生物である。金銭はこれを大
切にする人に集まる。ある富豪は必ずドウマキをもっていて
現金は肌身はなさず大切にして旅行した。ある人は、さつ
には必ずヒノシをかけてしわをのばして大切に保存した。人
ごみの中に行った時は、金入れを必ず手でおさえていた。
 しかしこうしたことは、金銭を大切にするほんの一面で、
ほんとうに大切にすることは、むだに使わぬことであり、さ
らに金銭を生かして使うことであって、これがその頂上であ
る。
 物は、人と同じように生きている。人が徳の高い人のもと
に集まるように、物もまた少しでもよく働かしてくれる人のと
ころに集まる。物をほんとうに働かすとは、使う時思いきっ
てこれを使う事である。ケチケチするのは、金銭を生かす事
にはならぬ。大たんに、よろこんで、すぐにこれを出す。これ
は生かすこと、金を働かすことである。それで我欲の人は
金銭を自分一人のために、自分の勝手のためにのみ使い
たいという心であるから、活動したい子供たちを、親の勝手
にしばしつけておくようなものである。
 実は、金銭はその人の努力に正比例し、欲心に反比例
して集まってくる。財貨は、喜んで働く人に自然にめぐまれ
る。欲心のあるだけ差引される。
 大富豪は、実は無欲至誠の人でなければ、行けない境
地である。
 世には、報酬を要求し、金銭を請求するのを賤しい事の
ように思う人がある。取るべき金を取り、請求すべき金銭
を妥協なく要求することは、何らはずべきことでないばか
りでなく、かえって、生活にはっきりと筋道を立てる所以
がある。
 しかし人の働きは、金銭によってねうちをつけられるよ
うなものではない。又働きの時間や分量によって、いく
らいくらと計算されるようなものでもない。働く人の心―
―喜んでいるか、いやいやながら時間をつぶしているか
、まことを傾けて一心に働いているか、千差万別である。
 これをはかりにかけて一々計算したならば、一律の報
酬では不公平極まるものとなるであろう。これは一体ど
うなるだろうか。一見不合理のようではあるが、長い目
で見ていると、まことの働きによらずに得た金銭は、不
時の入費の為に飛んでしまう。あるいは又、金銭のた
めにかえって苦しむということになる。金がある為に不
幸になるのである。だから「金銭はその人の働きに応
じて、自然にめぐまれるもの」ということが、わが民族の
総合体験であり、我等が会得した人倫の哲理である。
 一方、欲がなければ金銭にめぐめれぬと言う事も、一
応考えられる事である。なるほどごう欲な人は金をため
る。しかし金の為に、その人は幸福になったか、苦しむ
事はなかったか。人からの恨みによって不幸に陥らな
かったか。世にそうした不浄な金のために苦しむ実例
は多い。
 ほんとうに身につく金銭を得る人は、無欲の人であ
る。大事業家は、無欲の人である。事業は欲心で左
右されるようなものではない。ただせずにおられず、仕
事そのものがすでに無上の喜び、無限の恵みであっ
て、歓喜に満ちて働く、そこに事業はおのずから成功
し、金銭は自然に集まるのである。
 二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話
のように、欲心を起して水を自分の方にかきよせると、
向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが
方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も亦同じこと
である。

 物はこれを愛する人によって産み出され、これを大
切にする人のために働き、これを生かす人に集まっ
てくる。すべて生きているからである。

モチベーションアップのお話 第93話 相当

2008年05月14日

11「 物はこれを生かす人に集まる 」

- 万 物 生 々 (ばんぶつせいせい) -
 「物は生きている」と言ったら、半分は「そうだ」と言い、半
分は「そうではない」と言うであろう。しかし物はすべて生き
ている。着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。
 大切につかえば、その持主のために喜んで働き、粗末に
あつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹
立てて食ってかかる。けがをするというようなことはこうした
場合が多い。
 朝ばん、道具を拝むようにして働く農夫や大工が、その
道具でけがをするというようなことはない。不足不平でぶ
つぶつ言い、機械をかたきのようにいやがり、どれいの
ようにこく使している人は、その機械の運転がまずく、時
には大けがすることさえある。仕事に精根をかたむける
人は、まず用具に手入れを十分にし、用具を大切にす
る。
 用具をわが手足の如く大切にし、衣服をわが体の如
く愛するだけでなく、農夫は作物を、生産人はそれぞれ
の生産品を、わが子の如く愛し、慈くしむ。そうした人た
ちによって、この上もないよい物が、たとえようもなく、
たくさんに産み出される。
 物を象徴し、すべての財を具象したのが金銭である。
金銭は物質の中で、最も敏感な生物である。金銭はこ
れを大切にする人に集まる。ある富豪は必ずドウマキ
をもっていて、現金は肌身はなさず大切にして旅行し
た。ある人は、さつには必ずヒノシをかけてしわをのば
して大切に保存した。人ごみの中に行った時は、金
入れを必ず手でおさえていた。
 しかしこうしたことは、金銭を大切にするほんの一面
で、ほんとうに大切にすることは、むだに使わぬことで
あり、さらに金銭を生かして使うことであって、これがそ
の頂上である。
 物は、人と同じように生きている。人が徳の高い人の
もとに集まるように、物もまた少しでもよく働かしてくれ
る人のところに集まる。物をほんとうに働かすとは、使
う時思いきってこれを使う事である。ケチケチするのは、
金銭を生かす事にはならぬ。大たんに、よろこんで、す
ぐにこれを出す。これは生かすこと、金を働かすことで
ある。それで我欲の人は金銭を自分一人のために、自
分の勝手のためにのみ使いたいという心であるから、
活動したい子供たちを、親の勝手にしばしつけておくよ
うなものである。
 実は、金銭はその人の努力に正比例し、欲心に反
比例して集まってくる。財貨は、喜んで働く人に自然
にめぐまれる。欲心のあるだけ差引される。
 大富豪は、実は無欲至誠の人でなければ、行けな
い境地である。
 世には、報酬を要求し、金銭を請求するのを賤しい
事のように思う人がある。取るべき金を取り、請求す
べき金銭を妥協なく要求することは、何らはずべきこ
とでないばかりでなく、かえって、生活にはっきりと筋
道を立てる所以がある。
 しかし人の働きは、金銭によってねうちをつけられる
ようなものではない。又働きの時間や分量によって、
いくらいくらと計算されるようなものでもない。働く人の
心――喜んでいるか、いやいやながら時間をつぶして
いるか、まことを傾けて一心に働いているか、千差万
別である。
 これをはかりにかけて一々計算したならば、一律の
報酬では不公平極まるものとなるであろう。これは一
体どうなるだろうか。一見不合理のようではあるが、
長い目で見ていると、まことの働きによらずに得た
金銭は、不時の入費の為に飛んでしまう。あるい
は又、金銭のためにかえって苦しむということにな
る。金がある為に不幸になるのである。だから「金
銭はその人の働きに応じて、自然にめぐまれるも
の」ということが、わが民族の総合体験であり、我
等が会得した人倫の哲理である。
 一方、欲がなければ金銭にめぐめれぬと言う事
も、一応考えられる事である。なるほどごう欲な人
は金をためる。しかし金の為に、その人は幸福にな
ったか、苦しむ事はなかったか。人からの恨みによ
って不幸に陥らなかったか。世にそうした不浄な金
のために苦しむ実例は多い。
 ほんとうに身につく金銭を得る人は、無欲の人で
ある。大事業家は、無欲の人である。事業は欲心で
左右されるようなものではない。ただせずにおられず、
仕事そのものがすでに無上の喜び、無限の恵みであ
って、歓喜に満ちて働く、そこに事業はおのずから成
功し、金銭は自然に集まるのである。
 二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話
のように、欲心を起して水を自分の方にかきよせると、
向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが
方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も亦同じこと
である。

 物はこれを愛する人によって産み出され、これを大
切にする人のために働き、これを生かす人に集まっ
てくる。すべて生きているからである。

モチベーションアップのお話 第92話 相当

2008年05月13日

10「 約束を違えれば、己の幸いを捨て他人の福を奪う 」

- 破 約 失 福 (はやくしっぷく) -
 「きめごと」というのは、大の天体の運行、四季、昼夜め
ぐり、小は火、水、電気などについてのことなど、これまで
学者が研究し、発見したすべての法則。それは、はずれ
るとすぐけがをする、損をする。夜は燈がないと仕事がで
きぬ。雨の日に傘がないとぬれる……。
 火はやけどをするし、電気はビリリと来る。こうした自然
の約束は、知る限りは必ず守る。守らぬと身を亡ぼし、
命を失う。
 人のきめた約束はどうであろうか。いかめしい手つづき
できめた法律、あるいは人がよりあって定めた、いろいろ
の規約、これは人のきめたものだから、守る守らぬは、
そんなに厳密なものではない。時によると、うまくのがれ
れば得をするといったふうに、人のきめごとは、あまく見
ている。これは大変な誤りである。法律も、規約も、人が
何人か集まって、同じ目的で仕事をし、生きて行く為に
は、なければならぬきめごとである。だから、破れば皆
が困り不幸になるということは分る。が、これを破ったか
らとて、知れねばそれだけ得をすると考えるのが、低級
な間違った常識である。たとえば、さぎ、どろぼうが、働
きもせずに、もうけてよかったと思うようなものである。こ
とに、いわゆるやみで儲けた、と得意になっているような
ものである。
 これは、大変な考えちがいで、少し目を洗い、耳をそう
じして世間を見ていると、法網をくぐって出来た金銭、財
産は、その人の身につかぬのみか、かえって、その人を、
家を不幸にする。それこそ、1件の例外もなく、1人のも
れもない。少しく頭のよい注意深い人は、これを一々の
実例に見て、天の記録の精密さ、そのむちのきびしさに
襟を正す。天をおそれることはこの事である。
 これ以外に、普通約束といえば、何かある時、人と人
とが約束したこと、きめたことと、考えられている。これも
亦、破約の場合、間違った人は別に損得はないが、破
られた方が損をすると考えられている。これも見かけの
上の事で、破った方は、守らなかった責任がある。これ
がただ道徳上の責任というだけですむように思われて
いる。それが実はそうではない。破った方が、必ずその
責めを分担せねばならぬこと、いやでもきらいでも、そ
の責めを実際生活の上に負わされて、困りぬいている
実例の多いことは、この絶対倫理の一々実証している
ところである。
 とりわけて、きびしい破約に対する天の刑罰は、親子
夫婦等の血縁の間の「きめごと」である。これは、まだ
世に明かにされていない、ひめごとの幕に包まれてい
る。絶対倫理はこの秘密の扉を開いて、血縁のきめご
との誤りから来た肉体上の苦痛を、見事に解決してい
る。
 ことにきめごとの中で、時間を守るという、文化人とし
て最初のテストに見事に落第した日本人は、今日ただ
今を期して、まず時間を正しく守ることからはじめて、生
活をたて直さなければ、再びその時は来ないであろう。

モチベーションアップのお話 第91話 相当

2008年05月12日

9「 明朗は健康の父、愛和は幸福の母 」

- 明 朗 愛 和 (めいろうあいわ) -
 一人の明朗な心境は、その人の肉体健康の元であり、
家庭健康の中心であり、事業健康の根源である。うち沈
んだ、暗い、よわよわしい心の持主は、きっと体が弱い。
病弱の人が一人でもあると、その家庭は梅雨時のように
じめじめする。そうした家に住む人は心がにぶる。張りを
なくし、気おくれする。決断力がにぶる。何をしてもうまく
行かないのが当然である。
 明朗の心、1日も1分も曇らしてはならぬのは、人の心
である。朝はほがらかに起き、昼はほがらかに働き、夜は
ほがらかに休む。昨日も明るく、今日も明るく、明日も明る
い。家の中も、工場も役所も、電車も汽車も、朗らかに明る
く、そして町が、国が、地上が、春のように朗らかに、秋の
ように明るく、健康に伸びる、実る、栄える。 
 真に正しい事とは、まず己が救われ、それと一緒に人が
救われることでなくてはならぬ。明朗こそ、まず己が救わ
れるともしびであり、己のかかげたこの燈火で、人もまた
救われる。そして世の中が光明にかがやいて来る。
 朗らかな人の心は、世のくもりを照らす光である。明朗は、
万善のもとであり、健康の朝光である。
 人を生み、育て、やしなう、これは親の愛である。家庭を
つくり、社会をいとなみ、人の世の幸福と文化を生み出す
もとは、人の愛である。
 「親切は社会と社会をつなぎ合わせる金の鎖である。」
(ゲーテ)
「愛と信頼とは万人の心霊にとって唯一の母乳である」
(ラスキン)
 愛の乳は、出しても尽きる時がない。いや、出せば出す
ほど、よいものが多量に出る。愛のパンは、いくら分けても
なくなることがない。分ければ分けるほど、かさが増えて、
余りができる。
 愛は母乳の如く、与えぬと涸れてしまう。井戸水のよう
に、汲まぬとくさってしまう。無尽蔵とは愛の倉につけた名
であろう。この愛によって、すべてのものが、それぞれの
個性のままに、育ち栄える。
 愛にみちあふれて、皆がその所を得た有様を和という。
いっぱいにたたえた姿、欠けた所がない、うらみも、そね
みも、争いもない、みち足りた喜び、これが和である。
 自然は調和の姿である。宇宙は大和の相である。春の
花、夏の栄え、秋の実り、冬の充実、ひとつとして和の姿
ではないものはない。
 愛和は本と末、原因と結果の関係が愛によって和を得た
相、和のもとは愛である。そしてこの愛和は、すべての幸
福のもとである。親子夫婦のたてよこ十字の愛和は、家庭
の幸福のもとであり、親子、長幼の縦の敬慈、すべての人
の横の愛和、協力が、社会一切の幸福を生み出す。
 「おのれの如く汝の隣を愛すべし。」(「マタイ伝」)
 「仇を愛し汝等を責むる者のために祈れ。」(「マタイ伝」)
 「すべて分れ争う国は亡び、分れ争う町また家はたたず」
(「マタイ伝」)
 「愛は悪に対する唯一の武器である。」(ガンジー)
愛は万物を産み育て、和は万事を結実成就させる。

モチベーションアップのお話 第90話 相当

2008年05月11日

8「 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 」

- 疾 病 信 号 (しっぺいしんごう) -
 人は、骨と肉と血と皮と……から、出来ているが,これだ
けで生きているのではない。これは、たましい(魂)すなわ
ち心があって、一人の人間として、生命があるわけである。
 しかし心(生命)は、どこにあるのやら、昔の人はきもにあ
ると思っていた。それで「きもだまが太い」とか「小さい」とか
という。中国では、下腹にあると思っていたらしく、丹心とか
丹田とか言う。
 インド辺では、のどにあると思っていたらしい。西洋では心
臓にあると思ったので、心をハートと言い、この頃、「心臓が
強い」などと言う。又頭にあると考えられていて、 「あの男は
頭がわるい」などと言う。
 しかし心が肉体のどこにあるのか、さっぱりわからぬ。い
や、どこにでも行きわたっていっぱいになっている。そして、
心には形がなく、肉体には形があるが、この2つが全く1つ
になっていて、ちょうど電球(肉体)と電流(心)とのようにな
っている。電流が弱いと火がホタルのようになり、強いとパ
ッと明るくなる。人も恐れると青くなり、はらをたてると赤くな
る。ひどく驚くと、腰がぬけたり、全身が動けなくなったりす
ることもある。
 これでみると、肉体は、心のいれ物だと言える。それが、
もちと重箱といったような、そういった容器ではなくて、蓄電
池をみたようなもので、形のない心を、形ある肉体の中にい
っぱい入れているのであり、またその心のようすで、容器の
肉体がいちいち変わっていくので、「肉体は心の象徴」とい
うより外はない。象徴というのは、それだけで十分現れてし
まっているというわけではないが、これ以外には表しようが
ないほど、うまく表しているということである。「桜の花が、
大和心のシンボルである」というように、人の肉体は、その
人の心をそのまま表しているから、人相とか手相とか見て、
その人の心が読めてよいわけである。いや、その人にあえ
ば、初対面の人でも、その人物の大体は見当がつく。
 そうだとすれば、肉体に病気が起った場合、これは、肉
体だけがわるくなった……と片づけてよいであろうか。(肺
がわるい、胃が痛む、足が自由にならぬとかいう場合)こ
れまでは、多くの、肉体だけの故障と考えられて、そうし
た療法が加えられたが、実は体がバイキンにおかされた
り、悪くなったりする今一つその奥の原因がある。それは
心に不自然なひがみ、ゆがみが出来たことである。その
とき病気の原因になっている心のまちがいは、実は、そ
の人の家庭の不和、事業の不振等から来る(というより
も、そうした生活環境とぴったり一致している)もので、ほ
うとうは、生活(家庭や仕事)の暗影(不自然さ)が、自
分の肉体に赤信号としてあらわれているのである。その
あわられ方が、又実に見事に、その心の不自然さをうつ
しているわけである。
 それで、病気の根本である心の暗影(生活の無理なと
ころ)を切り取ってしまって、朗らかなゆたかなうるおいの
ある心になれば、肉体は、自然に、すぐに、直ってしまう
ものである。それで、病気は実に、困ったもの、人生の
苦しみなどではなくて、有難い自然の注意、天の与えた
赤信号であるから、喜んでうけて、間違いを直すべきで
ある。
 でないと、折角なった病気を、ただそれだけとして直し
ては惜しい、勿体ない。今や病気をこわがる、恐れる時
代は過ぎた。よろこんで、これを利用する時代がきた。
会友は皆これを体験して、明朗の世の中に生れ変って
いる。病気のお見舞に「それは結構です」と言う時代が
きた。

モチベーションアップのお話 第89話 相当

2008年05月10日

7「 約束を違えれば、己の幸いを捨て他人の福を奪う 」

- 破 約 失 福 (はやくしっぷく) -
 「きめごと」というのは、大の天体の運行、四季、昼夜め
ぐり、小は火、水、電気などについてのことなど、これまで
学者が研究し、発見したすべての法則。それは、はずれ
るとすぐけがをする、損をする。夜は燈がないと仕事ができ
ぬ。雨の日に傘がないとぬれる……。
 火はやけどをするし、電気はビリリと来る。こうした自然
の約束は、知る限りは必ず守る。守らぬと身を亡ぼし、命
を失う。
 人のきめた約束はどうであろうか。いかめしい手つづきで
きめた法律、あるいは人がよりあって定めた、いろいろの
規約、これは人のきめたものだから、守る守らぬは、そん
なに厳密なものではない。時によると、うまくのがれれば
得をするといったふうに、人のきめごとは、あまく見ている
これは大変な誤りである。法律も、規約も、人が何人か集
まって、同じ目的で仕事をし、生きて行く為には、なければ
ならぬきめごとである。だから、破れば皆が困り不幸になる
ということは分る。が、これを破ったからとて、知れねばそ
れだけ得をすると考えるのが、低級な間違った常識である
。たとえば、さぎ、どろぼうが、働きもせずに、もうけてよか
ったと思うようなものである。ことに、いわゆるやみで儲け
た、と得意になっているようなものである。
 これは、大変な考えちがいで、少し目を洗い、耳をそうじ
して世間を見ていると、法網をくぐって出来た金銭、財産
は、その人の身につかぬのみか、かえって、その人を、
家を不幸にする。それこそ、1件の例外もなく、1人のもれ
もない。少しく頭のよい注意深い人は、これを一々の実例
に見て、天の記録の精密さ、そのむちのきびしさに襟を正
す。天をおそれることはこの事である。
 これ以外に、普通約束といえば、何かある時、人と人とが
約束したこと、きめたことと、考えられている。これも亦、破約の場合、間違った人は別に損得はないが、破られた方が損をすると考えられている。これも見かけの上の事で、破った方は、守らなかった責任がある。これがただ道徳上の責任というだけですむように思われている。それが実はそうではない。破った方が、必ずその責めを分担せねばならぬこと、いやでもきらいでも、その責めを実際生活の上に負わされて、困りぬいている実例の多いことは、この絶対倫理の一々実証しているところである。
 とりわけて、きびしい破約に対する天の刑罰は、親子夫婦等の血縁の間の「きめごと」である。これは、まだ世に明かにされていない、ひめごとの幕に包まれている。絶対倫理はこの秘密の扉を開いて、血縁のきめごとの誤りから来た肉体上の苦痛を、見事に解決している。
 ことにきめごとの中で、時間を守るという、文化人として最初のテストに見事に落第した日本人は、今日ただ今を期して、まず時間を正しく守ることからはじめて、生活をたて直さなければ、再びその時は来ないであろう。

モチベーションアップのお話 第88話 相当

ザーレンコーポレーション         門田会長お別れ会

F1000110.JPG
本日は、弊社ユーザー様のザーレン・コーポレーション株式
会社の門田会長のお別れ会が、大阪ガーデンパレスホテル
で、行われました。故人を偲ぶ、たくさんの人が集まり、皆で
哀悼をささげるすばらしいお別れ会でした。門田会長63歳だ
ったそうです。 門田会長の人望の厚さ実感し、これまでの
自動車整備業界におけるザーレンコーポレーション様功績を
改めてすごいと感じました。
 謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお
祈りいたします。

ザーレン・コーポレーション様ホームページ
http://www.zahren.co.jp/
門田会長のご紹介
http://www.zahren.co.jp/kaisya/syatyou.html

2008年05月09日

6「 子は親の心を実演する名優である 」

- 子 女 名 優 (しじょめいゆう) -
 子供は親そのままである。顔形から、身ぶりから、言語
の言いぶりから、くせに至るまで……。
 どんな上手な彫刻家も、これほどうまく似通った肖像を
制作することは出来ない……と思われるほど、よく似てい
る。 ここまではだれでも知っている。けれども、親子はま
だまだ思いも及ばぬところまで、同じであることに気がつ
かぬ。
 生れて間もない子供でも、母親が忙しい時には心落ち
着かず、両親に心配事があるとよく眠らぬ。大きくなるに
つれて、両親がその年頃にした通りの事を繰り返す。又
今している事を行ない、心に思っている事でさえ、そのま
ま親の身代わりに実演する。
 こうしたことは、これまで心理学者も、教育学者も全く
知らなかった。そのためにどれほど子供に無理を言い、
その個性を摘み取り、希望の芽生えを焼き枯らしたか知
れぬ。子供の体質も、性質も、ことごとく両親にこれをうけ
、くせも、日々の行ないも、12、3歳までは、全部両親の
心行ないの反映である(時によると、祖父母や、学校の先
生や、その外の人達の影響もあるが)。だから子供が手に
負えぬ、悪くて困るという時、その原因はことごとく両親に
あると知って、自分を改め、夫婦が明朗愛和に帰る時、子
供たちにはゆびいっぽんふれず、一言も言わなくとも、りっ
ぱに直ってしまう。風がたてば、さわさわと音を立てて騒
いでいた竹林が、風の止んだそのしゅん間、すっかり静ま
ってしまうように。
 子供自身に、あらわれた病気でさえも、例学なく、親の
生活の不自然さが反映したまでである。これを知ったら、
世の人々は、どれほど驚くことであろう。又どれほど安心
することであろう。こうした事が、うそかまことか、それは
人に聞くまでもない。子を持つ世の親たちは、自分自分
のこれまでの生活と、子供たちの性質なり、することなり
を、静かに観察すれば、はっきりとすることである。
 親たちは上べを飾り、人前をつくって上品に暮していて
も、子供たちは、堂々と、つつみかくしなく、親の心を実
演する。
 家は、その小さな名優の舞台である。

モチベーションアップのお話 第87話 相当

2008年05月08日

5「 夫 婦 は 一 対 の 反 射 鏡 」

- 夫 婦 対 鏡 (ふうふたいきょう) -
 人は男性と女性と、なぜ二様になっているのであろうか。
これは、人に限らず、陰と陽と、+(プラス)-(マイナス)と
二通りの対立と、その合一によって、万象(すべてのもの)
を、生命を、幸福を生み出すように出来ている。生成発展
(うみいだし)は、相反する二つの力がとけあって一つにな
ったとき生れる。
 夫婦は合一によって、無上の歓喜の中に、一家の健康
と、発展と、もろもろの幸福を産み出す。ただに子女を設け
て、子孫繁栄のもとを成すばかりではない。
 こう見てくると、男女は、その肉体は相反し、相補うよう
に出来ていて、ピタリと合一するようになっているが、その
心はどうであろう。
 結婚の当時はうまくいくが、次第に離れて、全くはんた
いの方向にさえ行ってしまう事がある。そうなると、家の
ことは、ちぐはぐになって、仕事も商売もうまくいかなくな
る。
 それがこれまでは、仕事の方ならば夫のせいにし、又
子供のことなどは妻の責任にした。これが実は大まちが
いである。すべてが、夫婦の心の一致しているかいない
か、にかかっているのである。
 これが新しい倫理の一つの大きい特色(ちがい)であ
る。夫婦の一致和合こそは、幸福のもとである。どうした
ら完全な一致が出来るであろうか。
 これまでは、妻は夫を改めさせようとし、夫は妻をやか
ましく言った。それが大まちがい